2015年3月25日水曜日

”空母型”護衛艦いずも就役。これって空母なの?

3月25日、海上自衛隊史上最大となる基準排水量19,500トン(満載排水量26,000トン)のヘリコプター搭載護衛艦いずもが就役します。航空機運用に適した全通甲板を備える空母型艦艇としては、おおすみ型輸送艦3隻、ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦2隻に続くものとなり、建造にかかる総経費は1,181億円。舞鶴基地に転属されるひゅうがに代わって、横須賀基地に配備されます。





ひゅうが型との違い

ひゅうが型が基準排水量13,950トン、全長197メートルなのに対し、いずも型の基準排水量は約6,000トン増加した19,500トン、全長は51メートル長い248メートルとなるなど、大幅に拡大されています。

いずも型護衛艦は、ひゅうが型護衛艦の拡大型と言える艦艇ですが、ひゅうが型と比べ搭載する武装は簡略化されています。その代わり、航空機の運用能力、指揮統制能力、病院機能はひゅうが型より強化され、ひゅうが型に無かった大型車両の輸送能力や僚艦への補給能力も備えるようになりました。



強化された航空機運用・指揮統制能力

大きく強化された航空機運用能力では、ひゅうが型の約1.5倍の甲板面積を持ち、ヘリの発着艦ポイントも4ヶ所から5ヶ所に増えています。通常は海上自衛隊所属のSH-60K対潜ヘリ、MCH-101掃海・輸送ヘリといった航空機を搭載するものと見られますが、任務に応じて陸上自衛隊のヘリを搭載する事も想定され、今後は平成27年度予算で調達される予定のV-22オスプレイも搭載される事があるでしょう。

また、航空機運用能力と並んで重要なのが指揮統制機能の強化です。艦の戦闘を指揮するCIC(戦闘指揮所)、護衛隊群や陸海空の統合部隊の指揮・調整を行うFIC(司令部作戦室)、外部からの要員を受け入れる多目的区画等、指揮統制に関わる場所の床面積がひゅうが型より拡張されており、統合部隊の指揮中枢として戦闘行動に留まらず、災害救援や国際平和維持活動等の多様な任務での活用が期待されます。



結局のところ空母なの?

しかしながら、いずもは空母型艦船とは言え、高性能の固定翼艦載機の運用能力は現状は無く、米海軍の原子力空母のような防空・打撃能力は備えていないか、限定されたものに留まります。むしろ、各国で配備が進んでいる「多様な状況」に対応する多目的艦として考えたほうが良いでしょう。航空機運用能力に指揮統制能力、輸送力等を高い次元で融合した艦艇は、世界各国で建造が盛んに行われており、指揮・戦力投射艦、統合支援艦等様々な呼び名で呼ばれています。いずも型の様に全通甲板を備えた艦もありますし、それを「空母」と呼んでいない国もあります。


フランス海軍のミストラル級”指揮・戦力投射艦”(撮影:Simon Ghesquiere/Marine Nationale

自衛隊もそのような事情は同じで、平成26年度の防衛白書では「多用な活動」という言葉が頻繁に出てきます。東日本大震災での救援活動や、海外での災害救援・平和維持活動と、自衛隊の任務や活動は多様化しており、いずも型はその「多様な活動」の為の艦と言えるでしょう。

東日本大震災救援のため、護衛艦ひゅうがから発艦する米海軍機(海上自衛隊撮影

今後、改装によりいずも型にもF-35等の固定翼艦載機を搭載する可能性は否定出来ません。しかし、米海軍の原子力空母はもとより、イギリスのクイーン・エリザベス級空母(基準排水量45,000トン)、中国で空母遼陽(基準排水量55,000トン)に続いて建造中の次世代空母と言った最新世代の本格的空母と比べると、船体の規模が小さい為に航空機の搭載数が限られ、防空・打撃能力に関しては大きく劣る事になるでしょう。

もとより、憲法9条についての政府見解で「攻撃型空母」は持てないとされています。航空機運用能力を強化したとはいえ、ヘリ中心のいずも型は多様な任務に対応した多目的艦と見るべきであって、攻撃型空母とは言えません。仮に固定翼機を搭載する本格的な空母を建造するのならば、政府・海上自衛隊はその目的・意義・必要性を広く周知・説明し、国民的議論の末に結論を出す必要があるでしょう。それこそが正しい文民統制のあり方ではないでしょうか。



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2015年3月24日火曜日

「国のために戦う」人の割合、日本が最低? データが意味するもの

「自国のために戦う」人の割合、日本が世界最低?

先日の報道によれば、「自国のために戦う意志」を問う国際調査にて、日本では「はい」と答えた人の割合が11%と、64カ国中で最も低い割合だったそうです。

【ジュネーブ共同】各国の世論調査機関が加盟する「WIN―ギャラップ・インターナショナル」(本部スイス・チューリヒ)は18日、「自国のために戦う意思」があるかどうかについて、64カ国・地域で実施した世論調査の結果を発表、日本が11%で最も低かった。


日本と同様に「はい」と答えた人の割合が低い国は、オランダで15%、ドイツで18%だそうです。日本もオランダもドイツも先進国という点で共通してますが、逆に情勢の不安定な国では「はい」の回答が高い割合を示したそうです。

この調査結果を受けて、ネット上では色々な意見が溢れています。「日本が右傾化してるって嘘じゃん」から「日本の平和教育の害」を唱える意見まで左右様々です。でも、それって正しいんでしょうか?



元データを見てみよう

この報道について、ネタ元であるWIN/Gallup Internationalの調査結果を調べてみたところ、なかなか面白い事が見えてきました。

元の調査は64カ国を対象にしていますが、ここでは分かりやすくするため、米英仏ロ中の5大国に加えて、日本とドイツ、韓国を加えた8カ国で比較してみましょう。まず、「国のために戦う意思があるか」という設問に、「はい」と答えた人の割合が8カ国の中で日本が一番低いのは既報の通りですね。8カ国では下の表の通りです。日本が最も低く、ドイツ、イギリスが続きます。

「国のために戦う意思があるか」国別回答


ところがちょっと待って下さい。設問への回答は「いいえ」と「わからない」もあります。はっきりと、明示的に、「国のために戦う意思はありません」とする回答も集計されています。この割合で順位付けするとどうでしょうか。


「国のために戦う意思があるか」国別回答(「ない」降順)

「国のために戦う意思が無い」と明示的に答えた人の割合が多いのは、トップがドイツの62%。次いでイギリスの51%、韓国の50%という順になっています。日本は43%で8カ国中5位となっており、中位ポジションです。そして、日本の特徴はもう一つ。「わからない」が47%で8カ国中最高と、態度を決めていない人が半分近くいるのです。



千差万別の「戦争」

「国のために戦う」と言っても、その内容は千差万別です。突然の武力侵攻から、聞いたことも無い遥か遠くの国で戦わされるものまで、全て同じ「戦争」です。理不尽な武力侵攻で親兄弟を殺されれば、温和な人も銃を手に取り戦うかもしれないし、逆に地球の裏側で戦わさせられるのは、ほとんどの人は嫌がるでしょう。

設問を調べると、英文では”If there were a war that involved (調査対象国), would you be willing to fight for your country?”となっていました。日本語に訳すと「国が戦争に巻き込まれたら、貴方は国のために戦いますか?」というところでしょうか。この各国語訳が設問になっていたようですが、設問が提示する「戦争」イメージが漠然としています。こんな戦争イメージでは、「わからない」と答える人が多いのは当然の事ではないでしょうか。態度を明らかにしなかった47%の日本人は、有事の際に「戦争」の「中身」を見てから判断することになるでしょう。

もっとも、日本の自衛隊は完全志願制の常備軍であり、仮に戦争を行うにしても、そのリソースの中で行う事を前提としています。「戦う国民」がいるとしても、それがどれだけ必要になるかは、実際に戦争になってみないと分かりません。

まず「戦う」のは自衛隊員


日本より深刻なのは?

むしろ、今回の調査で深刻なのは「国のために戦う意思は無い」と表明した人が多く、かつ周辺情勢が不安定な国でしょう。敢えて言えば、北朝鮮と対峙している韓国です。国際法上、朝鮮戦争は休戦中で準戦時下と言える状況に韓国は置かれており、2015年現在も徴兵制が存在する数少ない先進国です。その国民の半数が「戦わない」と宣言するのは、日本以上に問題ではないでしょうか。

報道では「国のために戦う」という答えばかり注目されてましたが、「国のために戦わない」、「わからない」といった他の答えに目を向けるだけでも、だいぶ違った様相が見えてきましたね。この結果から、皆さんはどう考えますか?


※「国のために戦うか」という設問に「はい」と答えた日本人は11%と報じられていますが、出典元のWIN/Gallup Internationalの調査結果は10%となっています。出典元を尊重し、表中では10%とさせて頂きました。


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2015年3月18日水曜日

地下鉄サリン事件から20年。大量破壊兵器不拡散への取り組み

13人の犠牲者と6000人以上の負傷者を出した地下鉄サリン事件から、20日で20年を迎えます。

ラッシュ時の地下鉄に化学兵器が撒かれる前代未聞のテロは、世界に大きな衝撃を与えました。事件を起こしたオウム真理教への強制捜査の結果、生物兵器研究や自動小銃の製造にも着手していた事が明らかになるなど、国内の監視が強い先進国内でも、組織的に大量破壊兵器が製造可能だと証明された事も重要でした。以前からは考えられないほど簡単に、大量破壊兵器が製造できるようになったのです。

地下鉄サリン事件から6年後には米国同時多発テロ事件が発生し、世界は対テロ戦争に突入していく事になりますが、そこでもキーワードになるのが大量破壊兵器でした。



大量破壊兵器拡散への懸念と予防

アメリカによる対イラク開戦の口実となったのは、イラクによる大量破壊兵器の開発・保有疑惑でした。戦後の調査でイラクによる大量破壊兵器保有の事実は確認されませんでしたが、開戦前にアメリカが主張していたのが移動式の化学兵器製造プラントの存在でした。この移動プラントもイラクから見つかりませんでしたが、小型化・簡易化した化学兵器プラントが世界のどこかで表れる可能性は依然としてあります。

技術の発達により、ある国や集団が化学・生物・放射性物質・核兵器(CBRN)といった大量破壊兵器を製造する可能性は高まりつつあります。前述の移動式プラントの可能性もそのような懸念が背景にあり、世界の安全保障にとって大きな問題となっています。大量破壊兵器開発に転用される恐れのある技術や製品について、国際的な輸出管理の枠組みが作られる事になります。

冷戦中、兵器転用の恐れのある技術・製品の輸出については、旧東側に属する国家に輸出しないといった国別の禁輸措置が取られてきました(COCOM型輸出管理)が、冷戦後はCOCOM型輸出管理を改め、輸出に際しあらゆる国・非国家集団に対して、兵器転用の恐れが無いかを見極めるアプローチ(不拡散型輸出管理)になります。


通常兵器、大量破壊兵器、ミサイルおよび関連物資等の不拡散体制(防衛白書より引用)

また、2003年にはアメリカにより、「拡散に対する安全保障構想(PSI)」が唱えられました。2002年にスペイン軍が北朝鮮を出港した船を臨検したところ、イエメンへ輸出されるスカッドミサイルが発見されましたが、国際法的に没収する根拠が無い為に積み荷ごと解放された事件を契機に、大量破壊兵器・ミサイルの拡散を阻止するための国際的な枠組みを作ろうとする動きで、現在は100カ国以上が支持・参加を表明しています。日本でも警察や自衛隊、海上保安庁がPSI対処として、海上での臨検活動の訓練等を行っています。

警察NBCテロ対策部隊によるPSI海上阻止訓練(警察庁HPより)


身近なモノで起こしうる大量破壊兵器テロ

しかし、国際社会が大量破壊兵器の不拡散に様々な努力を払っても、CBRN兵器を用いたテロが下の表のように起きています。

主なCBRNテロ一覧

このうち、近年深刻なのが塩素ガスを用いた攻撃です。塩素ガスは水に溶けやすく、刺激臭があるので使用が容易に分かる事などから、近代的な装備を持つ軍隊相手には効果が限られますが、無防備な民間人を巻き込むテロ活動には効果的です。また、ありふれた原材料から簡単に製造出来るため、国際的な貿易規制が効果を及ぼし難いという特徴があります。

内戦中のシリアでは、政府軍は当初サリン等の軍事用に開発された毒ガスを攻撃に用いてましたが、現在は樽に爆薬と塩素ガスを詰めて市街地に落とすテロを行っています。

内戦が続くシリアで、化学兵器が使用されたもよう。反体制派組織の「シリア人権監視団」によると、北西部のイドリブで16日、アサド政権側が爆弾を投下した。中に塩素ガスが入っていたとみられ、6人が死亡。


国際的な貿易規制下にあるシリアの他、大した製造設備を持たないISのようなテロ組織も塩素ガス攻撃を行っています。塩素のようなありふれた物質が大量破壊兵器として使われると、国際的な規制が意味を持たない例と言えます。



運搬手段も規制の対象

このようなありふれた物質を大量破壊兵器として用いるテロに対しては、どのような対策を取ればいいでしょうか。

塩素ガスなどの製造を防ぐのが難しいものの場合、運搬手段や広範囲への拡散手段に制限をかける事で実効性を抑える事が出来ます。シリア内戦の場合ですと、散布手段である航空機の飛行制限区域を国際社会が(軍事力を用いて)設定する事で、その実効性を減じる事が出来ます。また、輸出管理やPSIでは、大量破壊兵器そのものと共に、その運搬手段であるミサイルに関連する技術・装置も監視の対象となっています。

しかしながら、制度への認識不足あるいは利潤のため、規制されている技術・製品が国外に輸出される事件が、少なくない数起きています。一見、大量破壊兵器と無関係に見える製品でも、大量破壊兵器の運搬役に使われるかもしれないという現実。化学兵器による大規模テロを経験した国として、企業にもその可能性を考慮する姿勢が求められのではないでしょうか。



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2015年3月13日金曜日

戦艦武蔵発見で考える海没遺骨とその尊厳

資産家のポール・アレン氏による戦艦武蔵発見が話題になっていますね。



今まで詳しい海没地点が不明だっただけに、今回の発見と海中の武蔵の威容は、大きな関心を持って迎えられているようです。13日には海中からのライブ中継も行われる予定で、ますます注目を集めそうです。

ところで、戦艦武蔵には未だ1,000名近い乗員の遺体が眠っているとみられています。ライブ探索の中で遺体が発見された場合、その扱いはどうなるのでしょうか。そして、まだ多くが海底に眠る、日本の戦没艦船はどうなっているのでしょうか。



海で眠る30万の海没遺骨

戦時中あるいは戦後の混乱の中で本土以外(沖縄・硫黄島含む)で命を落とした日本人は240万人に及びます。そのうち遺骨が帰還出来たのは半数に留まり、依然として113万柱の遺骨が異国の地、あるいは海の中で眠っています。


硫黄島で戦没者の遺骨収集を支援する自衛官(防衛省資料より)

終戦から70年を迎える2015年(平成27年)度から10年間、政府は戦没者の遺骨収集の強化期間と位置づけ、調査や収集のための取り組みを行う方針です。未だに多くの遺骨が眠る硫黄島での収集事業の本格化や、これまで政治的事情で調査・収集が困難だったミャンマー等の地域でも、収集に向けた取り組みを行うようです。

しかし、113万柱の遺骨のうち、収集事業の対象となる遺骨は半分ほどです。と言いますのも、相手国の事情から調査が困難な地域に眠る23万柱、そして海中で眠る海没遺骨30万柱については、対象から外れています。 

戦没者遺骨の収容状況


相手国事情による収集困難な遺骨については、民主化が進み調査が期待されるミャンマーや、北朝鮮についても日朝交渉で議題に上がるなど、今後の進展次第では収集が進む可能性があります。しかし、海没遺骨については、これまで積極的な遺骨収集は行われてきませんでした。

この理由について、1987年(昭和62年)の参議院での答弁で、中曽根総理大臣(当時)は以下のように答弁しています。

沈没艦船内の遺骨収集については、海自体が戦没者の安眠の場所であるとの考え方に基づき、原則としてこれを行わないが、例外的に、遺骨が人目にさらされていて遺骨の尊厳が損なわれるような特別な状況にあり、かつ、その沈没艦船内の遺骨収集が技術的にも可能な場合には、これを行うこととしている。


基本的に海没遺骨は海自体を安眠の場とし(これは世界的に見ても同様です)、遺骨の尊厳が損なわれ、かつ、技術的に収集可能な場合に収集を行う事を政府方針としています。

ところが、最近になって、これらの条件を満たしていながら収集が行われず、取り返しの付かない事態にまでなった事件が起きました。



違法な引き上げで鉄屑として売られる海の墓標

昨年、軽巡洋艦球磨、重巡洋艦羽黒等、海中の旧日本軍艦の船体が引き上げられ、鉄屑として販売されていた事が現地メディアで報じられました(当該記事リンク)。この違法な引き上げを行ったクレーン船”Hai Wei Gong 889”は、この他にも海中のイギリス軍艦、オランダ潜水艦も引き上げたと見られ、中国人船員が逮捕されています。

球磨の水没地点は浅瀬で、かなり原型を留めていたと言われていますが、引き上げられた球磨の残骸はかなりの規模で(リンク:引き上げられた球磨の写真)、現在海中でどのような姿になっているかは不明です。そして、球磨は100名以上、羽黒は400名もの戦死者を出しています。引き上げにあたってこれらの遺骨も出てきたのは確実と思われますが、どう取り扱われたかも定かではありません。恐らく、粗雑な扱いで投棄された可能性が高いでしょう。

このように収集可能(違法業者にも出来た)な状況にありながら、遺骨の尊厳が損なわれてしまう事態になっていますが、報道や国会質問、議事録等で確認しても、今のところ海没遺骨についての政府のアクションは無い模様です。

戦艦武蔵は水深1kmの地点で発見されたため、違法業者に引き上げられる恐れもなく、調査にあたるポール・アレン氏もこの種の保存活動に精通した方ですので、遺骨の尊厳は保たれるものと思います。しかし、広範な地域で眠る戦没艦船の中には、違法業者に狙われる可能性が高いものが、まだあるかもしれません。

戦後70年の節目に武蔵が発見されたのは全くの偶然で、それはポール・アレン氏の熱意が成し得たものです。ですが、これを機会に同じく海底に眠る戦没艦船とその中の遺骨について、改めて考えてみるのもどうでしょうか。


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これ書いてたら、艦これの菱餅チャレンジがあと数時間で終わってしまう時間になってたので死にたいです……

追記:さらに、World of Warshipsのクローズドベータテスト募集も書いているうちに締め切られてたのでマジ死にたい……

2015年3月12日木曜日

書評:「アイラブユーゴ」「アイラブユーゴ2」

ここんとこ、レビュー記事ばかりなのはどうかと思われるかもしれませんが、本書は社会評論社のハマザキカク氏より2巻をご献本頂いたにも関わらず、Twitterのみでの紹介は不義理もいいとこですので、しっかりブログにてレビューを残したいと思います。



アイラブユーゴ、表紙並べると1つの写真になる構成


さて、私のように90年代後期に小難しい事が分かるようになってきた世代にとって、旧ユーゴスラヴィアは血みどろの内戦と虐殺といった暗いイメージばかり付きまといます。もう少し世代が上なら、1984年のサラエボオリンピックのイメージかもしれないし、もっと遡れば、社会主義国でありながら他とは一線を画す外交を展開する国といったイメージもしれません。あるいは、今の世代ならオシムやハリルといった日本代表監督を輩出したサッカーなんでしょうか?

ともあれ、私にとってのユーゴ原体験というのは、内戦とか民族浄化とか、どうしようもなく暗い話ばかりです。他方、旧ソ連もダークとは言えないにしても灰色のイメージが長らく付きまとっていましたが、2000年代以降はずいぶんと情報が入るようになり、イメージも幾分和らいだものになっています。マクシム・コロミエーツとか、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの著作を読んで、なるほどソ連(軍)にもこういう事情や苦悩があったのかと理解出来るまでにはなりました。90年代に言われてた大戦中の話なんて、もう悪の帝国ブッチでしたからね、ソ連。最近、また逆コース辿ってますけど。


話をユーゴに戻しましょう。


2000年代に名誉回復(?)を果たしたソ連に対し、ユーゴは微妙です。つい最近になってTwitterで知りましたが、1995年に放映された名作ドキュメンタリー、NHKスペシャル「映像の世紀」第10集『民族の悲劇 果てしなく』の中で、旧ユーゴ構成国のクロアチアのプロパガンダとして紹介された映像が、実は右傾化プロパガンダを批判する映像作品だったとか。



togetter:Nスペ「映像の世紀」でクロアチアのプロパガンダとして紹介された映像、実は逆に右傾化やプロパガンダを批判するビデオクリップだった件


プロパガンダ批判がプロパガンダそのものとして公共放送で紹介されていたわけですが、20年間真逆のものと信じていたので軽い衝撃でした。この件については、何故真逆の意味に報じられたか検証してくれれば嬉しいのですが……。(※:ハマザキカク氏よりコメント頂いたところ、あのプロパガンダ映像には更に別の見方があるそうです。よく知られていない国の事だけに、わずかな断片情報だけでも大きな影響を与えうる事の見本のようです)

このように、我々日本人にとってのユーゴ感というのは、公共放送であるNHKが本来とは真逆の意味で伝えていたように、実際のユーゴとは違う、あるいは一部分だけを捉えた、陰鬱なイメージが未だに蔓延っているのではないかと思います。


さて、本書は1巻がユーゴスラヴィアの民族・言語・宗教・政治について、2巻は幾分か生活にシフトして経済や産業、インフラ、スポーツについて紹介しています。

このシリーズに共通しているのは、政治や社会、経済といった事象の解説であっても、人を中心とした写真を多く配している点です。政治を扱った1巻でも、ティトーを中心とした人々から、パルティザン、抗議の学生、兵士たち、TVの女子アナと、政治家に留まらない様々な階層のユーゴスラヴィア人の写真を配しています。これらの写真はほぼカラーによるもので、色彩豊かな人々と街が与える印象は、これまでの暗いユーゴイメージを覆すインパクトがあります。

出典が何だったかは思い出せないのですが、冷戦中に笑うソ連の子供の写真を見たアメリカ人が「ソ連でも子供は笑うのか」と驚いた話によく似て、当たり前の事でも普段接する報道によって想像力が及ばない・阻害される事がままあるのだなと痛感します。特に新聞は白黒写真での配信が未だに多いので、色彩が伝わる事がありません。ユーゴ内戦で象徴的にメディアに出てきた、ユーゴスラヴィア共産主義者同盟中央委員会が入っていた高層ビル(UŠĆE Tower)も、当時の廃墟から打って変わって、現在は綺麗なビルになっているとは知りませんでした。その他、無味乾燥に見えた社会主義によく見られる集合団地も、多様なデザインに溢れていたのかと驚かされます。


UŠĆE Towerの現在の姿

カラー写真を多く配し、ユーゴの「カラー」を描き出す構成もさる事ながら、解説本文も手を抜いていません。ユーゴの成立から政治体制、社会の基本的説明から、ユーゴでの原子力研究やユーゴスラヴィア航空の事など、他で中々目にする事の無い情報も記されており、日本語で読めるユーゴ資料としても価値があると思います。


アイラブユーゴを読んだ事で、これまでの陰鬱なイメージに占められていた私の中のユーゴ感に大きな変化があった事は言うまでもありません。正直な所、多くの日本人(私も)にとって、ユーゴは興味の対象の焦点にある国とは言い難いと思います。にも関わらず、このように興味を引く体裁でユーゴ本を出し、ユーゴのイメージ変革を促してくれた事は誠にありがたいと思っております。


統一国家として消滅し、日本では忘れ去られつつあるユーゴスラヴィア。もし貴方の記憶にある内戦の火煙と陰鬱な表情の国ユーゴが薄れつつあるなら、多様な民族からなる人々が自分たちの掲げる社会主義の理想(頻繁に変わるけど)の下で暮らしていた国でもあったと、記憶をリフレッシュしてみるのも良いかもしれません。


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2015年3月6日金曜日

映画レビュー「アメリカン・スナイパー」

ようやく確定申告が終わって一息つけたので、公開前に試写を観たけど、紹介に手を付けていなかった映画「アメリカン・スナイパー」について少々触れたい。ラストについては周知の事だと思うけど、念のためネタバレ嫌だと思う人は回れ右。


「アメリカン・スナイパー」は、米軍史上最も敵を射殺したスナイパー、クリス・カイルによる同名の回想録を基にした映画。早川から文庫版が原題のママの文庫が映画公開に合わせて出ているが、以前は「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」という邦題で3年前に訳本のハードカバーが出ていた。ハードカバーの方は割りと見覚えのある方も多いかもしれない。

映画公開前に試写を観る機会を得たが、自分の貧相な語彙と感性では表現し難い感覚があり、レビューに手を付けられなかった。原作未読だったせいかと思い読んでみたものの、その感覚はむしろ強まった。うまく整理がつかないので、まずは軍事から観たアメリカンスナイパーについて書いていきたい。


映画の軍事描写で面白いのは、クリスがイラクでの任務に就くたびに、戦術面や車両の装甲化に変化が見られる点だ。イラク戦争初期の戦術では、昼に街をパトロールして夕方には基地にまで引き上げていくような事が行われていたが、これでは有志連合軍が戻った隙を見てアルカイダらの勢力が浸透してくる。劇中でも現地のイラク人から協力を取り付けたと思ったら、米軍がいない隙にアルカイダがやってきて、見せしめにそのイラク人家族を残虐に殺すシーンが前半に出てくる。

子供を残虐に殺したアルカイダの連中が、デカデカと"TOYOTA"と描かれたトラックに乗りこみ帰っていくのは鮮烈に印象に残る。今現在のIS問題でもそうだが、テロリストはトヨタ車が大好きだ。一方、クリス達米軍も中盤でトヨタ車に乗り込んで街で銃撃戦を行っている。大柄まハンビー(日本でもたまに見かけるハマーの原型です)が市街地で使いづらく、特殊作戦軍ではトヨタのタコマ(日本名ハイラックス)等のピックアップトラックを投入していた事もあった。騒音も小さく、見た目は一般車なので目立たない点が好まれていたそうだ。トヨタ車を使うテロリストに対してアメ車を使う米国機関という構図のハリウッド映画は多くあったが、米軍側もトヨタ車を使う映画を観たのは初めてな気がする。

劇中、運転手が狙撃されて死亡するシーンが複数あるが、イラク戦争全体を通じ非装甲車両への銃撃・爆弾攻撃により、多数の死傷者を出している。相次ぐ死傷者に輸送任務に就く州兵が、自分たちのオンボロトラックに廃材の鉄板を溶接するハンドメイド装甲化等の涙ぐましい努力が行われていたほどだ。劇中では時間を下るたびに、車両の装甲化が目に見えて進んでいく。非装甲のハンビーにとって代わり、MRAPのようないかつい装輪装甲車が目立ってくる。

戦術にも進歩があり、テロリストと住民の接触を避ける為の手段が終盤に見て取れる。街に長大な壁を建設し、物理的にテロリストと住民を遮断する、かつてベトナム戦争の戦略村を彷彿とさせる手段だ。イラク戦争も後半では如何にテロリストの浸透を防ぐかに重点が置かれ、町の外の基地からパトロールを出すのではなく、街中に小規模な拠点を多数設け、治安維持を担当させるようになっていた。兵力増員と相まったこのような策は奏功し、イラクでの治安状況は大幅に改善し、2011年の米軍撤退に繋がっていく(それ以降、また酷くなるのは周知の通り)。


話を軍事面から戻す。


昨年公開された映画「FURY / フューリー」は、戦車乗員の普通のアメリカ人が戦場で磨り減っていく話だったが、「アメリカン・スナイパー」のクリス・カイルは明らかに普通ではない。本人はクドい程自分が「普通のアメリカ人」であると著書に書いているが、毎週日曜に教会へ行くような厳格な家庭で育ち、小さい頃から猟銃持ってハンティングをし、軍に入るまではカウボーイをしていたというステレオタイプなアメリカ保守層を体現したかのような経歴は、アメリカであってもおよそ普通からはかけ離れている。周囲の者がイラクの戦場で擦り切れるか死んで脱落していく中、クリス・カイルは職務を遂行していく。

その普通じゃないクリスですら、最終的には過酷な戦場で擦り切れていき、最後の最後で「もうやだ。嫁のとこ帰る」(こんなセリフは言ってないが)と除隊して祖国に帰ってしまう。じゃあ、普通の兵士連中はどうなったのか。

除隊後、兵士の社会復帰を支援する慈善活動を行っていたクリスは、同じアメリカ人の元兵士により殺害されるラストを迎える。物事の優先順位について、「神、祖国、家族の順」と自伝で語っているクリスが、敵ではなく同胞の手で死を迎える展開は事実なだけに救いがない。監督のクリント・イーストウッドは共和党員だが、アメリカは世界の警察官を演じるべきではないと、対外戦争に反対の立場を貫いている。監督個人の心情から言えばイラク戦争に反対なのだろうが、クリス・カイルによる原作は明白にそれと異なっている。このギャップが、映画に加えられたラストシーンで増幅され、言い知れない感覚を生み出している。

当たり前の話だが、映画で描かれるクリス・カイルの回想録出版後の出来事は原作には載っていない。1人のアメリカ人が成し得てきた人生が、自分の愛する者に奪われる理不尽がこの映画にはある。アメリカン・スナイパーは戦争映画として記録的な興行成績で、「プライベート・ライアン」を超えたそうだ。この1年で中東で築かれようとしていた秩序が一気にひっくり返る理不尽が進行していますが、劇場に足を運ぶアメリカ人達は、図らずしもその縮図を1人のアメリカ人の中に見出して、なんでこんな理不尽な世界なのかと考えているんじゃないかと思うんですがどうでしょう。