2014年3月28日金曜日

防衛省技術研究本部と情報通信研究機構が研究協力

3月26日、自衛隊の装備品の研究開発を行う防衛省技術研究本部(TRDI)と、総務省所管の独立法人で情報通信技術の研究開発を行う情報通信研究機構(NICT)が、電子情報通信分野における互いの研究を推進するための協定を締結しました。

独立行政法人情報通信研究機構(理事長:坂内正夫、以下「NICT」)と防衛省技術研究本部(本部長:渡辺秀明、以下「TRDI」)は、平成26年3月26日(水)に、電子情報通信分野における双方の研究開発を一層推進するため、研究協力に係る包括協定を締結しました。



NICTが発表したプレスリリースでは、NICTの持つサイバーセキュリティ技術を用いて自衛隊のサイバー演習環境構築技術の研究や、Software-Defined Network(SDN:ソフトウェアにより動的に構成を変更可能なネットワーク)等の先進的なネットワーク仮想化技術を利用し、抗堪性の高い通信の研究等を行うとされています。

また、TRDIの発表でも「高分解能映像レーダ(合成開口レーダ)に関する技術情報交換等」を行うとしており、観測衛星や監視レーダー等への波及効果が期待されます。

この提携の背景として、今後の伸びが期待できない国の研究開発予算の効率化と、必要性が高まっているサイバー防衛への備えという側面があると見られます。近年はサイバー空間上での攻防は益々激しくなっており、2010年にはイランの核施設がウィルス攻撃を受け、8,400台の遠心分離器が感染し、イランの核開発が数年遅れたとも言われるなど、国家に深刻なダメージを与える事態も起きています。爆弾1つ使わずに、一国を危機に陥れる事が可能になったのです。


イランの核施設があるナタンツの対空陣地。ウィルス攻撃には無力だった(Hamed Saber撮影)

NICTとTRDIの提携が発表された同日、自衛隊内にサイバー防衛隊が発足しました。今後、NICTとTRDIの提携はNICTが持つ情報セキュリティ技術を、実際のサイバー防衛にあたる自衛隊装備に応用する点で有用と見られます。サイバー空間は国家と民間、集団と個人が近しく存在している場所で、官民を挙げた対策が今後も求められます。防衛省だけでなく、様々な機関・団体にも成果の恩恵があればと思います。


【プレスリリース】

独立行政法人 情報通信研究機構「情報通信研究機構と防衛省技術研究本部との研究協力の推進に係る包括協定の締結について」 


【参考になりそうな文献】

防衛用ITのすべて (防衛技術選書―兵器と防衛技術シリーズ)

防衛技術協会から刊行されている「防衛用ITのすべて」は、防衛におけるレーダーやコンピュータ等のIT技術がどう使われているか、物理の基礎から紹介しています。


電子戦の技術 基礎編

「電子戦の技術 基礎編」は、米空軍で電子戦の教科書を邦訳したもので、その第一弾の基礎編です。電子戦用語の解説から、概念、実際までをカバーした書で、ITというよりも無線に注力していますが、お勧めです。

電子戦の技術 拡充編

また、4月10日は続編の「電子戦の技術 拡充編」も発刊されます。

軍事とIT 空の巻

テクニカルライターの井上孝司氏のマイナビニュース連載を電子書籍としてまとめたもので、F-35やイージス艦にITがどう関わっているか等、実際の兵器にどうITが生かされているか解説されています。値段も手頃でお勧めです。

戦うコンピュータ2011

同じく井上孝司氏の著書で、軍事とIT、兵器とITといったことから、市民生活にサイバー防衛がどう関わってくるまで解説されております。入手が難しいですが、これもお勧めです。










2014年3月27日木曜日

中国通信機器大手ファーウェイを巡る攻防

2012年2月の話です。米空軍が大量調達を予定していたiPadを、突如調達をキャンセルした事が報じられました。これを伝えたNextgovの記事では、調達要件に含まれていたiPad用ファイル管理の定番アプリケーション”GoodReader"がロシア製だった事がキャンセルの理由であると仄めかされています。

”GoodReader"。米「良いアプリです。ロシア製なのを除けば……」


翌3月に再び調達が告示されましたが、その際の要件に特定のアプリ名は記載されていなかったそうです。Nextgovの取材に対し、GoodReaderの開発者のユーリ・セルコフ氏は「まだ70年代(米ソ冷戦時代)を生きている人がいるのか」と述べ、米空軍の対応に呆れていたようです。当時、日本でもこの報道はネットメディアでよく伝えられていて、私も時代錯誤な話だと思いましたし、ネット上の大方の意見もそんな感じだったと記憶しています。しかしその翌年、元米情報局員のエドワード・スノーデン氏の告発で米国の情報活動が暴露されてからはこう考えるようになりました。あれは、「うち(米国)はやっている」って意味だったんだなと。


ミイラ取りがミイラに

2012年12月、中国の大手通信機器メーカーの華為技術(ファーウェイ)のCEOが、米国市場からの撤退を仄めかしました。

ファーウェイ(Huawei Technologies)の創業者でCEOを努めるレン・ジェンフェイ(Ren Zhongfei、任正非)氏が先ごろ、自社製品に対するサイバーセキュリティの問題が取りざたされている米国通信機器市場からの撤退を決めたことを、フランスのニュースサイトLes Echosとのインタビューのなかで明らかにしたという。

ファーウェイは1988年、中国人民解放軍総参謀部の信息工程学院(現・中国人民解放軍信息工程大学)出身の任正非氏(現CEO)が同僚らと創設した通信機器メーカーで、2012年度の売上高は353億ドル、営業利益は32億ドルと通信機器世界最大手の米Cisco Systemsに迫る巨大企業です。通信インフラに強みを持ち、特にヨーロッパ・アフリカでは大きなシェアを誇っており、英Vodafoneグループや、日本でもソフトバンク、イー・モバイルがファーウェイの基地局設備を導入し、携帯端末も売られています。

ところがこのファーウェイ、米国やオーストラリアでは、政府の通信インフラへの参入を排除されています。理由は安全保障上の理由からです。2012年10月に米下院情報特別委員会が出したレポート”Investigative Report on the U.S. National Security Issues Posed by Chinese Telecommunications Companies Huawei and ZTE”では、ファーウェイを始めとする中国の通信機器メーカーは組織や意思決定プロセスが不明瞭であり、米国政府のシステムを任せるにはリスクが大きいとまとめています。しかし、不透明だ、もっと開示しろ、と指摘する一方で、肝心の安全保障上の脅威となる証拠は提示されませんでした。

ところが先日、スノーデン氏の暴露した情報から、米NSA(アメリカ国家安全保障局)がファーウェイのネットワークに侵入し、ファーウェイと中国人民解放軍の関係を探っていたと報じられました。

この話を報じたNYTimesと独Der Spiegelによれば、NSAは2009年からファーウェイを標的とした「Shotgiant」という監視プログラムを実施し、同社と中国人民解放軍とのつながりを探ろうとしていたという。また、当時の胡錦濤首席や中国政府の対外貿易部門、中国国内の複数の銀行や通信事業者などに対しても、NSAはスパイ活動を行っていたという。

恐らく、ファーウェイが中国政府機関と関係している証拠をネットワーク侵入などのスパイ活動で探していたのだと思われますが、2009年からの活動でも、2012年の議会レポートに活かせる証拠は発見出来なかったようです(あるいは見つけたけど出せない)。

さて、このNSAが自社ネットワークに侵入していた事を受け、ファーウェイの広報は独シュピーゲル紙にこのようにコメントしています。

「もしそれが本当なら、皮肉にも彼らが我々対して行っている事(ハッキング行為)は、彼らが中国人が我々を通じてやっていると非難してきた事と同じではないか」

アメリカがこれまで非難してきた事が、痛烈なブーメランになって返って来ました。昨今のクリミア編入問題でも、過去に西欧米が煽ったコソボ分離独立をロシアに引き合いに出されてしまった事もそうですが、ここのところアメリカ様はブーメラン喰らい過ぎです。

まあ、ファーウェイを始めとした、中国のナショナル・カンパニーに軍出身者が相当数関わっているのは事実でして、あやしー動きもあるにはありますし、中国検索大手Baiduの日本語入力ソフトshimejiも、使用者に内緒で入力情報を外部に流していた事が報じられています。でも、アメリカが一方的に非難できる資格があるかと言えば……ね?
秘密が筒抜けの海外サービス

さて、スノーデンの告発を受けて、暗号学の権威Bruce Schneier氏が政府にプライバシーを侵害されない為、市民に出来る通信の秘密の守り方を紹介しています。それを受けて、セキュリティベンダーのFortinetも独自の見解を添えて、有効な暗号やツール、または危険なサービスを分類しています。

各暗号・サービスの秘密保全度(Fortinetセキュリティブログより
緑、黄色、オレンジの順に安全度を示していますが、緑でも実装が不十分な場合は安全を保証するものではないとしています。

ここで見て頂きたいのが、Dropbox、Facebook、Gmail、Yahoo!、Skypeと、アメリカ発の有名Webサービスは軒並み「NSAは間違いなく、貴方がそこに預けたモノを解読できますよ」と書かれちゃってます。私、このサービス全部使ってますので、NSAが脅迫してきたら、跪いてペロペロ靴を舐める以外に取るべき道がありません。あ、今書いているこれもGoogleだ!

さて、中国メーカーの機械も、アメリカ発のWebサービスも、情報保全という意味で信頼ならんという結論になりそうですが、それだったら日本が取れる道ってどんなのがあるでしょうか? 

国内でも、表計算・文書ソフトでマイクロソフトOfficeが圧倒的シェアを取ってだいぶ経ちますが、官公庁では未だに国産の一太郎花子が使われているようです。また、拙稿「自衛隊の暗号携帯はAndroidスマホ? 」でもお伝えしましたように、自衛隊で使われているスマホの要求仕様は国内メーカーに限定し、OSもオープンソースで検証可能なAndroidを採用しています。このように、日本政府も無策ではないのだなあと思わせますが、まだ国内に有力IT企業がある日本だからマシは話になっている訳で、発展途上国の情報保全担当者の苦労が忍ばれます。凋落著しい日本のIT業界ですが、自国で最低限の事が出来る力はこれからも残して欲しいところです……。



参考サイトや本など

Fortinetセキュリティブログ「NSA(とGCHQ)の暗号解読能力: 真実と嘘」
セキュリティベンダー、Fortinet社のセキュリティブログです。スノーデン氏の告発を受けて、NSAの暗号解読について考察しています。嬉しい事に、Fortinet日本法人が抄訳版を掲載していますので必読。


日経ITpro「中国ファーウェイの正体」
日本で知名度の低いファーウェイについて、本社取材や副会長インタビューを交えて、その戦略や米国等での問題を取り上げた特集です。多くの著名日本企業が、ファーウェイに部材を売っている事にも触れています。


"A New Direction for China's Defense Industry"
米シンクタンクのランド研究所によるレポート。ファーウェイを始めとする中国企業を"blue chips"(アメリカの優良企業)になぞらえて”red chips”と紹介。政府、軍との関係性を主張している。


デイナ プリースト, ウィリアム アーキン「トップ・シークレット・アメリカ: 最高機密に覆われる国家

以前も何度か触れた、ワシントンポストによる911以降のアメリカ情報機関の肥大化についてのレポート。






2014年3月25日火曜日

ウクライナが日本の安全保障にもたらす影響

先日、クリミア情勢に関してTwitter上でこんな趣旨のツイートを見かけました。

「”親日国ウクライナ”の為に、日本が出来ることはないか。」
先日、混乱するウクライナ情勢に関して、Twitter上でこんな趣旨のツイートを見かけました。

「”親日国ウクライナ”の為に、日本が出来ることはないか。」

あまりにナイーブな”親日国”という要素を国家間の関係にまで持ち出す事の是非はここでは問わないし、ウクライナが本当に親日であるか否かという話もしません。確かにウクライナは親日国かもしれない。しかし、経済的・軍事的関係性において、ウクライナは親日である以上に遥かに”親中”な国という側面を持っています。



冷戦終結とウクライナ・中国関係

冷戦期、ソ連邦の構成国の1つであったウクライナは、ソ連の穀倉地帯であると共に重工業でも重要な地位を占めていました。黒海の造船所はソ連の空母・航空機搭載艦の建造を行い、T-80UD戦車を開発したハルキウ機械製造設計局、大型輸送機の設計・開発を行っていたアントノフ設計局等の重要な設計局もウクライナに置かれ、宇宙開発の分野においても旧ソ連による宇宙技術の成果の30%がウクライナのものであるとされるなど、ウクライナはソ連における軍需産業の重要な工業基盤でした。


T-80戦車。現在のウクライナで派生型開発が行われた(http://vitalykuzmin.netより)

ところが、ソ連の崩壊とウクライナの独立により、ウクライナの軍需産業に大きな転機が訪れます。ウクライナ軍需産業の最大のユーザーであったソ連軍は無くなり、独立したウクライナ軍はウクライナ軍需産業の供給能力を満たすほどの規模ではありませんでした。結果として、ウクライナ一国にとっては過大な軍需産業が残される事になりました。その為、必然的にその目は海外に向けられる事になります。

その頃、中国も大きな悩みを抱えていました。70年代の改革開放以後、西側との関係改善を果たした中国は軍事技術分野でも西側技術を導入し、アメリカとの間でも戦闘機の改良計画、新型戦車の共同開発、中国艦艇への機関供給等の広範な軍事技術協力が行われるようになりました。しかし、1989年の天安門事件により、西側との軍事技術協力は凍結を余儀なくされ、中国は旧ソ連の技術導入に再び立ち戻る事になります。この時、中国の良きパートナーになったのが、ソ連崩壊により軍需産業を持て余していたウクライナでした。



中国海軍急拡大へのウクライナの貢献

ウクライナと中国の軍事技術協力は多岐に渡りますが、その1つの成果が近年の中国海軍の急拡大です。中国海軍がアメリカ・フランスからの技術導入で建造した052A型駆逐艦は、1番艦は米国製ガスタービンを搭載していましたが、天安門事件以降に起工された2番艦はウクライナ製ガスタービンを搭載しています。中国は自国での艦艇用ガスタービンの製造能力を持たず、これまではウクライナからの輸入に頼っていましたが、近年に入り国産化に成功し、”中華イージス”の俗称がある052D型駆逐艦に搭載されるようになりました。なお、海上自衛隊が現在保有するイージス艦は6隻ですが、052D型駆逐艦は現在8隻の建造計画が確認されています。


052B型駆逐艦(海上自衛隊撮影)。ウクライナ製ガスタービンとドイツ製ディーゼルを搭載
そして、近年の中国海軍拡大の象徴とも言える空母”遼寧”は、元々は旧ソ連で計画され、黒海の造船所で建造中だった空母ヴァリャーグの船体を利用したものです。このヴァリャーグを中国に売却したのは、他でもないウクライナです。また、空母に搭載される艦載機についても、旧ソ連で開発が進められていたSu-33艦上戦闘機の試作機T-10Kがウクライナから中国に引き渡され、現在中国で開発が進められているJ-15艦上戦闘機(殲-15)のベースになったとも言われています。この他にも、中国海軍関係者がウクライナの艦載機訓練施設を頻繁に訪問している事や、発着艦訓練機Su-25UTGのウクライナからの輸入が報じられるなど、中国の空母計画にハードとソフト両面でのウクライナが関与している事が窺われています。

大連に回航されるヴァリャーグ
ウクライナは機関や空母の他にも、上陸作戦に使われるポモルニク型エアクッション揚陸艦の中国への輸出と技術協力、99A2式戦車へのディーゼルエンジンの供給、Y-20大型輸送機の設計草案の無償提供等(これに関し、アントノフ社は中国が無断で開発を進めたと不快感を示している)、陸海空の様々な局面で技術協力を行っています。中国軍の近代化、いや先進化について、ウクライナは多大な貢献をしたと言えるでしょう。

武漢で建設中の艦載機訓練施設(防衛省資料より)


今後のウクライナ情勢が与える影響

現在、ウクライナ・ロシア間の緊張が世界的に懸念されていますが、これがウクライナと中国の軍事協力に影響を及ぼす可能性が指摘されています。ロシアの軍事情勢に詳しい未来工学研究所の小泉悠氏は、ロシア系住民が多数を占め、軍需産業の基盤が集中するウクライナ東部が今後、ウクライナ新政権につくかロシア側につくかで大きく影響を及ぼすのではないかと推測している。中国との武器取引でロシアは重要な位置を占めますが、中国と国境を接するロシアはウクライナと比べて技術移転に慎重であり、ウクライナ東部がロシアにつけば中国への軍事技術の流入に大きな変化が訪れるのではないかと見ています。

しかし、その一方で懸念もあります。今回のウクライナ問題の原因の1つに、ウクライナの深刻な財政問題があります。ウクライナとロシアの関係が更に悪化した場合、元々ロシアと経済的結びつきの強いウクライナは益々経済的困窮に立たされます。経済的に不安定な時期が長く続いたウクライナでは、中国以外にも様々な国に武器を販売しており、サダム・フセイン政権下のイラクへの制裁を破ってレーダーを輸出し、またアフリカの紛争国にも無節操に武器輸出をして国際的非難を浴びていました。近年は欧米の関与により、ウクライナの武器輸出管理も整えられたと考えられていましたが、今後の財政問題次第で、また無節操な武器輸出による外貨獲得に走る可能性も捨てきれないのではないかと思われます。

今現在進展しているウクライナ問題は、東アジアから遥かに離れた東欧の出来事で、日本にとっては関心が低い事かもしれません。しかしながら、東アジアから離れているからこそ、東アジアの軍事的緊張を気にせずに軍事協力を推し進めている国があり、それが日本の安全保障に大きな影響を与えています。今回のウクライナ問題がどう進展し、ウクライナはどのような選択をするのか、注視する必要があるでしょう。


※当初、記事中で「T-80戦車を開発したハルキウ機械製造設計局」としましたが、正しくは「T-80UD戦車」でした。お詫びして訂正致します。


【理解に役立つ本】

トシ・ヨシハラ「太平洋の赤い星」

米海軍大学教授による中国海軍戦略の本。原書は2010年の発表だが、恐ろしい事に現在の中国海軍は当時と比べ物にならないほど拡大している。


茅原郁生「中国軍事大国の原点―鄧小平軍事改革の研究」

中国軍研究の第一人者、茅原氏による鄧小平期の軍事改革について扱った本。海軍にも一章を割き、「毛沢東の海軍」から80年代に欧米技術を取り入れた近代海軍への変貌過程を示している。





2014年3月7日金曜日

誤用され続ける「A級戦犯」

先日、週刊誌の中吊り広告でこんなのを見かけました。


週刊文春2014年3月13日号の中吊り広告

見て頂きたいのは、広告の左側『「慰安婦問題」A級戦犯 朝日新聞を断罪する」』のところです。記事の内容についての言及ではありません。「A級戦犯」という表現です。

この「A級戦犯」という言葉、最近では、


『ソニーからモノ作りを奪った「A級戦犯たち」』(週刊新潮2014年2月20日号)

『米国 オバマ政権がS&Pを詐欺の疑いで提訴 金融危機招いたA級戦犯・格付け会社の正体』(週刊ダイヤモンド2013年3月16日号)

『3・11から一年 原発事故 あの災厄の責任は誰がとるのか 「3・11」の「A級戦犯」』(週刊アエラ2012年3月12日号)


など、週刊誌を始め、様々な雑誌で使われている表現です。

ソニー凋落の原因、金融危機を招いた格付け会社、原発事故の責任者……。いずれの責任も重大であり、責任追及の最上級の表現としての「A級」戦犯であるように感じられます。「○○のC級戦犯!」なんて見出しは見たことありませんからね。

そもそも「A級戦犯」とは、第二次大戦後に開かれた極東国際軍事裁判(東京裁判)において、戦前日本を戦争に導く主導的役割を果たしたとされる人物――東條英機、広田弘毅、松岡洋右ら――を裁く際、彼らが犯した戦争犯罪を「平和に対する罪」として分類し、他の戦争犯罪と分けたものです。日本を戦争に導き、多くの血を流し、敗戦に追いやった指導者の罪は確かに重大です。現在の週刊誌は、これら指導者に匹敵する、最も重大な責任であると強調したいために「A級」を使いたいのでしょう。

じゃあ、「A級戦犯」があるなら、もっと格下に見える「B級戦犯」と「C級戦犯」はA級と比べて、どれだけ「軽い」犯罪なのでしょうか? B級は「通例の戦争犯罪」、C級は「人道に対する罪」を指します。どういった罪なのか、名前からは分かり難いので「極東国際軍事裁判所条例」によるBC級の定義を見てみましょう。(※条例原文の仮名遣いは片仮名)


(イ)平和に対する罪 即ち、宣戦を布告する又は布告せざる侵略戦争、若は国際法、条約、協定又は誓約に違反せる戦争の計画、準備、開始、又は遂行、若は右諸行為の何れかを達成する為めの共通の計画又は共同謀議への参加。

(ロ)通例の戦争犯罪 即ち、戦争の法規又は慣例の違反。

(ハ)人道に対する罪 即ち、戦前又は戦時中為されたる殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其の他の非人道的行為、若は犯行地の国内法違反たると否とを問わず、本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又は之に関連して為されたる政治的又は人種的理由に基く迫害行為。


つまり、B級戦犯「通例の戦争犯罪」は戦争のルールを定めた戦時国際法・慣例への違反、C級戦犯「人道に対する罪」は大量虐殺・民族浄化と言った非人道的行為についての罪です。戦争のルールを破ったらB級戦犯ですが、ナチス・ドイツのように特定の民族を虐殺したらC級戦犯です。あれ? こう書くと、B級よりC級の方が残虐性や実際に出た被害が大きく見えますね。そうです、ABC級戦犯は罪の重さや犯罪の規模を表した等級ではなく、単なる分類なのです。C級戦犯よりB級戦犯の方が罪が重いなんて事はありませんし、A級戦犯が懲役刑で、BC級戦犯が死刑という例もあります。

極東国際軍事裁判(東京裁判)

ところが、何故か日本では「A級戦犯」が、最も重大な犯罪的行為をした人の代名詞となっています。日本と同じく連合国による国際軍事裁判が開かれたドイツでは、ABCの分類に「共同謀議の参加」という罪を加えた4つの分類分けがなされており、ABC級戦犯という言い方は定着していません。先に挙げた極東国際軍事裁判所条例の分類で、日本語版ではイ・ロ・ハによる分類だったものが、英語版条例のABCの方が定着してました。「イ級戦犯」、「ハ級戦犯」……なんか締まんないから、A級、B級にしたかったのも分かります。ですが、Wikipediaの「A級戦犯」の項目では、日本語・韓国語・中国語しか作成されておらず、「BC級戦犯」に至っては日本語と中国語しかありません。ABC級という分類が、いかにローカルなものであるかが分かると思います。


しかし、指導者の罪を追求する意味での「A級戦犯」の使用は、必ずしも的を外している訳ではありません。政治家や企業の経営などで、悲惨な結果をもたらした決定を行った指導者に対して、戦争を決定した指導者の罪を指す「A級戦犯」を比喩として用いる事はアリではないかと思います。もっとも、明らかに等級として罪の重さを強調しているような例ばかりなんですけどね……。


<ここらへんの国際法関連の理解に役立つ本たち>

国際条約集 2014年版 --International Law Documents

ベーシック条約集〈2013〉

国際法基本判例50 第2版

国際法 第2版 (有斐閣アルマ)