2013年5月10日金曜日

潜水艦用高張力鋼 NS鋼について(後編) & オーストラリアが日本の潜水艦技術に興味持ったワケ

(前編)からの続き。

日本における潜水艦用高張力鋼の開発

日本で溶接性に優れた高張力鋼の開発が活発化するのは、戦後になってからのことです。

戦後、日本でも溶接技術が発達する中、まず最初に溶接性に優れた高張力鋼の採用に乗り出したのが防衛庁でした。1953年に艦艇用高張力鋼の試作研究のための委員会が日本造船研究協会に設立され、旧海軍の研究や欧米の高張力鋼を参照し研究が行われました。その結果、米英のマンガンを主体にした鋼より、前編で触れたドイツのSt-52に準じたケイ素とマンガンを主体にした高張力鋼の方が、溶接による硬化を増すことがなく、強度増加が期待できることが分かりました。

この研究結果を元に、溶接艦船用高張力鋼の暫定規格SM52Wの成分が決まり、以後に制定されたNS30、JIS規格SM50に発展していく事となり、日本の高張力鋼開発の基礎となりました。

戦後日本においては、民生技術が防衛技術へと応用されるスピンオンが多いとされていますが、高張力鋼技術は、防衛技術から民生技術へスピンオフがなされた珍しい事例と言えるかもしれません。

1956年度計画艦の”おやしお”(初代)は、戦後日本初の国産潜水艦として建造され、SM52W及びNS30が構造材として用いられました。鋼材は”おやしお”は溶接構造を全面的に採用し、耐圧性よりも溶接性に主眼を置かれていましたが、”おやしお”以降は耐圧性の向上を視野に入れた高張力鋼の開発が行われるようになります。

NS30から始まった戦後の国産潜水艦は、戦後3番目に開発され1965年に就役した“おおしお”でNS46を全面的に採用することで安全潜行深度が増大。1971年に就役した第一世代涙滴型潜水艦の”うずしお”では、NS63が採用されたことで潜行深度が更に深まると共に、米海軍の潜水艦で一般的な高張力鋼であるHY80以上の耐力を持つ高張力鋼が使われることになり、この分野で世界のトップクラスに到達したとも言えるでしょう。


1980年就役の第二世代涙滴型潜水艦”ゆうしお”では、NS80まで使用されることとなり、これが現在まで続く自衛隊潜水艦の主要鋼材となります。

NS90は、海洋科学技術センター(現:海洋研究開発機構)の”しんかい2000”等の有人潜水調査艇に使用されておりますが、自衛隊潜水艦で使われているかは確認が取れませんでした。一部の書籍などでは、NS90採用潜水艦という記述が見られますが、ここではNS80説を取りたいと思います。




NS110の謎

さて、より耐力が強固なNS110は、”はるしお”型以降で採用されているという話が文献やネット上であります。しかし、NS110の規格制定年が1998年であることを考えると、”おやしお”型以降なのでは無いかと考えています(ただ、”おやしお”も1995年起工だから、果たしてNS110使われているんだろうか……)。

不可解なのは、「平成13年度政策評価書 (事後の事業評価) 先進鋼技術の研究」を読むと、NS110が1983年には「完成」したことになっていて、規格制定年と15年以上のズレがあったりと正直分かりません。1998年の規格化は、「研究開発段階では、製鋼会社2社の成分系および製造方法によって種類をNS110A及びNS110Bに区分したが、後述するようにNS110Aの成分変更を受け、今回種類を統合し、規格を一本化を行った」ということらしいんですが、素直に読めば1998年の規格化までは研究開発段階だった、と読めるんですが、謎は深まる……。

こんなふうに、一体いつ出来たのか謎なNS110ですが、その性能についても見てみましょう。






耐力だけを見るならば、上の表のように、まだ採用艦が無いアメリカのHY130を超えて、西側トップ性能ですが、アンドレイ・V・ポルトフ「ソ連/ロシア原潜建造史」によると、ロシアの潜水艦も耐力100kgf/mm*2級の鋼材を採用しているとのことで、実用化された世界一耐力の高い艦艇用鋼材かは確定できないかもしれません。
ロシアって、ソ連時代に1隻あたり、チタン合金を数千トン使った潜水艦をじゃんじゃん作っていたので、こういう冶金技術の高さは侮れません。

そして、NS110採用艦でも、NS110の使用は構造材の一部に留まるとされ、NS80の割合が依然大きいと考えられます。

次に高張力鋼の化学成分比較を見てみましょう。



各国の代表的高張力鋼(現代は日米だけですけど…)を比較すると、ニッケルが約10%添加されたNS110の異常さが際立っています。似たようなニッケル含有率だとステンレス鋼がありますが、NS110にはクロムが僅かしかありません。艦艇用高張力鋼と同じように、高い強度と靭性の両立したマルエージング鋼もニッケル含有率が18~25%と高いですが、マルエージ鋼に大量に添加されるコバルトは、NS110には入ってもいません。

ちなみに、マルエージング鋼は、210kgf/mm*2という高い耐力と靭性を両立した特殊鋼ですが、高価であることと、溶接後の柔化を防ぐ処理が大掛かりになるとされています。実際、潜水艦用鋼材として優れた特性であるにも関わらず、マルエージング鋼を使用した潜水艦は、ソビエト科学アカデミー(現:ロシア科学アカデミー)とフィンランドの共同開発による、ミール深海探査艇くらいのものであることも、潜水艦への適用が難しいことが窺われます。

鋼鉄は僅かな添加物の違いで、その特性がガラリと変わってしまうので、断言はできないのですが、艦艇用高張力鋼の中でも際立ってニッケル含有率の高いNS110も、マルエージング鋼のように潜水艦への適用が難しいと考えられ、実際に内部健全性の判定基準が、NS鋼の中で最もシビアなものとなっています。

それにしても、NS110はよくわかりません。 私が文系なせい以外にもあるような気がします。



なんでこんなに耐力求めるのか?

自衛隊の潜水艦では、なぜ高張力鋼の性能向上に力を入れているのでしょうか。
その理由は軽量化にあると考えられます。

自衛隊の潜水艦は通常動力潜水艦の中でも、かなり大型の部類に入るものです。最新の”そうりゅう”型では、現用の通常動力潜水艦で世界最大となる、水中排水量4,200トンにまでなっており、艦の運動性や燃費などを考えれば、重量を少しでも減らしたいのだと考えられます。

では、自衛隊の潜水艦が、ここまで大型化した理由はなんでしょうか。
自衛隊の潜水艦は乗員が多い事でも知られています。これを省力化が遅れているからだと見る方もいらっしゃいますが、長期の哨戒任務に就くために大量の乗員を必要としているからだ、という見解もあります。

ここに、オーストラリアが関心を示した理由があるのかもしれません。
と言うのも、オーストラリアのコリンズ級も水中排水量が3,300トンを超える大型潜水艦です。広大なオセアニア地域で哨戒活動を行うには、大型潜水艦の方が都合が良いのかもしれません。

また、有力な対抗馬のドイツ潜水艦は、元々が狭く浅いバルト海での活動を想定していた為、小型で省力化が進んでいます。 輸出型の214型潜水艦でも2,000トンほどの排水量で、オーストラリアが求めるものとは異なるのかもしれません。

つまり、オーストラリアが求めている潜水艦とは、大型化しつつも重量を抑えた潜水艦であって、そういう点で日本の潜水艦技術、わけても高張力鋼の加工技術に興味を持っているのかもしれません。

以上

参考文献・サイト

防衛庁規格 NDS G 3121 「艦船用超高張力鋼板(NS110)」
防衛庁規格 NDS G 3111C 「艦船用超高張力鋼板」
防衛庁規格 NDS G 3131B 「艦船用圧延調質高張力鋼板」

平成13年度政策評価書 (事後の事業評価) 先進鋼技術の研究

アンドレイ・V・ポルトフ(2005)「ソ連/ロシア原潜建造史」海人社
杉村卓, 今井保穂,坂元直家(1967)「潜水艦の構造材料および施工上の問題点<特集>材料・溶接」造船協会誌(460)
今井保穂 (1969)「深海調査船および将来の潜水艦用高強度材料について」, 日本造船学会誌, 第477号
木原博(1972)「日本における構造用高張力鋼の発達と溶接上の問題点」, 日本鉄鋼協会『鐵と鋼』58(13)
各国潜水艦の高張力鋼まとめ ←オススメです。

関連書籍

4 件のコメント:

  1. きっとプロテリアルのSLD-MAGICによる成形技術なんかもあるんでしょうね。

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  2. 最近では実用性能では自動車の冷間のハイテン成形プレス技術でGPa越えが相次いで報告されていますね。翻って考えてみるとやはり、プロテリアル(旧日立金属)製のマルテンサイト鋼の頂点に君臨する高性能冷間ダイス鋼(特殊鋼)SLD-MAGICの登場がその突破口になった感じがしますね。今ではよく聞く人工知能技術(AI:ニューラルネットワーク・マテリアルズインフォマティクス)を使ったCAE合金設計を行い、熱力学的状態図解析によって自己潤滑性を付与したことが功を奏した話は業界で特に名古屋では有名ですからね。軸受、歯車、圧延ロール、減速機、摺動機械部品の基本的な摩擦係数にかかわるはなしがこうだからCAE技術もさらなる可能性に満ち溢れているということでしょうね。タコツボ組織化しがちなトライボロジー研究でボールオンディスクを横串力とするCCSCモデルという提案も素晴らしいものでした。

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  3. ラマン分光法との組み合わせとても参考になりました。特に、混ぜ物なしのベースオイル(基油、パラフィン)がバラツキを抑えるなんて今まで気づきませんでした。

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  4. DXテクノロジーで高度科学技術へと飛翔するか。

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