2017年2月23日木曜日

「物言う軍人」。軍人としてのマクマスター新大統領補佐官

辞任したマイケル・フリン国家安全保障担当大統領補佐官の後任として、H.R.マクマスター陸軍中将が指名されたことが報じられています。

【ワシントン=黒見周平】トランプ米大統領は20日、新たな国家安全保障担当大統領補佐官にハーバート・マクマスター陸軍中将(54)を充てると発表した。
前任のマイケル・フリン氏はロシアとの密約疑惑で就任から1か月足らずで更迭された。トランプ氏は外交・安全保障の司令塔が空席となった異例の事態を早期に解消するため、米軍内で評価の高いマクマスター氏を起用したとみられる。

同じトランプ政権の要人では、先日来日したジェームズ・マティス国防長官は、「狂犬(Mad Dog)」「戦う修道士」との呼び名も相まって話題でしたが(「狂犬」の呼び名については、拙稿「マティス国防長官、「狂犬」呼称は適切?」を参照頂きたい)、マクマスター中将もなかなか興味深いキャリアと個性の持ち主の人物です。

トランプ政権の動向を世界中が注視している中、アメリカの外交・安全保障に大きな影響を及ぼす新たな大統領補佐官にも注目が集まっています。そこで、今回はマクマスター中将の経歴や個性について、ざっと紹介したいと思います。


指揮官として

マクマスター中将のキャリアの中で著名なのは、1991年の湾岸戦争での「73イースティングの戦い」と呼ばれる戦いでの活躍です。マクマスター大尉(当時)は、自身が搭乗するM1A1戦車、愛称"マッド・マックス"を始めとした戦車9両を中核とするイーグル(E)騎兵中隊を率いて、イラクの精鋭部隊である共和国親衛隊のT-72戦車を有する4倍の勢力を持つ敵部隊に一方的な勝利を収めます。この勝利は「湾岸戦争で最も劇的な勝利」と呼ばれ、マクマスター大尉が頭角を表すきっかけになります。

マクマスター大尉が搭乗・率いたM1A1エイブラムス戦車。残念なことにV8ではない
このような輝かしい戦車戦の戦果を持つ一方で、2005年には第3機甲騎兵連隊長として、イラク北部の都市タル・アファールの治安を安定化した功績を挙げるなど、通常戦闘一辺倒ではない軍人である事が窺えます。しかし、このような功績を挙げても准将への昇進を2年連続で将官で構成される委員会に拒否されるなど不遇が続きましたが、"学者戦士"として知られるディビット・ペトレイアス大将(オバマ政権時にはCIA長官)が委員長になると昇進を果たし、将官となります。


物言う軍人

治安戦について高い学識を持つペトレイアス退役大将と同じく、マクマスター中将も"学者戦士"と呼ばれ、軍にいながら積極的な著述活動も行っています。特に知られている1997年に発表した著書"Dereliction of Duty"(責任放棄)では、ベトナム戦争におけるアメリカの戦争指導を分析し、統合参謀本部がアメリカ政府首脳部の誤りを分かっていながら、それに迎合して率直に意見を述べる事を怠ったことが、ベトナム戦争の敗北に繋がったと批判しています。このマクマスター中将の主張に対しては異論も多いものの、軍人として政府に「率直に物を言う」姿勢が明確に現れています。

また、ブッシュ政権のラムズフェルド国防長官の時代に顕著だった、アメリカ軍のテクノロジー傾倒について批判的なのも特徴です。テクノロジーを単に否定するのではなく、軍事における不確実性を表す「戦場の霧」をテクノロジーが解消するという議論について、テクノロジーにより「戦場の霧」が減少したことは認めつつも、イラク戦争を例に出し、戦争の本質としての不確実性は消滅していないと主張しています。また、大のPowerPoint嫌いなことも知られています。(同様にマティス国防長官もPowerPoint嫌い)

このような自らも主張する軍人足らんとするマクマスター中将ですが、自著の主張を実践するなら、政権と意見を異にした場合は「物を言う」立場になるでしょう。その場合、トランプ大統領らと衝突することになるかもしれません。

トランプ政権に多く物を言い、安全保障政策の修正する役割を果たすのか(ただし、マクマスター中将の方針が正しいかは別)、あるいは相容れず去ってしまうのか、それとも様々な制約から「物言わぬ軍人」になってしまうのか。マクマスター中将が今後も目の離せない人物なのは間違いないでしょう。


【参考】

河津幸英 「湾岸戦争大戦車戦(下) (史上最大にして最後の機甲戦)」イカロス出版
調査研究報告書『平和構築と国益 豪日協力モデルによる挑戦』特定非営利活動法人・国際変動研究所
菊地茂雄 「「イラクの自由」作戦の米軍のトランスフォーメーションに対する影響」防衛省防衛研究所
菊地茂雄「「アドバイザー」としての軍人」防衛省防衛研究所

2017年2月4日土曜日

マティス国防長官、「狂犬」呼称は適切?

米トランプ政権の閣僚として初の来日となったマティス国防長官のキャラクターが話題です。マティス長官の"Mad Dog"という異名から、日本のメディアでは「狂犬」として紹介される一方、7000冊を超える蔵書を持つ読書家であることが、相反する要素を持ち合わしているとして受け止められているようです。

初外遊の日韓歴訪を開始したジェームズ・マティス米国防長官(66)は、アフガニスタン戦争やイラク戦争で実戦を指揮し、「狂犬」の異名で知られる一方、「国防総省随一の戦略家」とも評される。

しかし、報道やネット上の反応を散見すると、これらの個性が十分理解されていない面もあるのではないかと感じました。そこでこの記事では、「狂犬」という呼び名が持つ意味、そして読書家である事が意外な一面として捉えられている事について、考えていきたいと思います。


「魔犬」海兵隊出身

まず、「狂犬」という異名について、少々誤解があるのではないでしょうか。「恐れられている」という否定的な側面を紹介する報道もあれば、 "Mad Dog"を「狂犬」と訳すのは誤訳とする報道もあります。はては「狂犬」を失礼とする意見も見られました。

しかし、ここで注意すべき点は、「犬」という呼び名は、マティス長官の出身であるアメリカ海兵隊においては、特別な意味を持っていることです。そこを踏まえないと、"Mad Dog"の意味を誤読してしまうと思います。

第一次世界大戦中の1918年。大戦に参戦したアメリカ海兵隊は、パリに迫るドイツ軍とフランスのベローの森で対峙します。この時、度重なるドイツ軍の猛攻に耐えたことで、海兵隊はドイツ軍側から「魔犬(Teufel hunden)」と呼ばれることになります。ドイツ軍が名付けた魔犬の呼び名は、当の海兵隊側が気に入ったことで、"devil dog"を自称するようになり、それは当時の海兵隊採用ポスターにも見られます。


1918年の米海兵隊募集ポスターで登場する"魔犬"(右)

つまり、海兵隊にとっては、犬は自身を表す象徴的な存在であり、現代でも使われている呼び名でもあります。海兵隊出身者であるマティス長官が「犬」と呼ばれることに関しては、'''敵に恐れられているという名誉の証であって、不名誉でもなんでもない'''のです。そもそも、"Mad Dog"という呼び名は、当のトランプ大統領の就任前のツイートにも見られます。




「犬」という訳に反発する向きもありますが、海兵隊出身のマティス長官にとって、「犬」は象徴的な存在であることは無視出来ません。また、"Mad"を「狂」と訳すことにも異論はあるでしょうが、そもそも海兵隊自身が"devil"「魔」です。「猛犬」という訳もあるでしょうが、「狂犬」という訳を誤訳とは見なすのも難しいのではないでしょうか。


現在も海兵隊のマスコットであるブルドッグ(DIMOCより)

読書家の軍人

日本の一般的なイメージとして、戦士としての軍人と教養が結びつきにくい、ということがあるかもしれません。このことが、強硬な一面と読書家という一面を併せ持つマティス長官の個性に注目する一因でもあるのかもしれません。

しかし、高級軍人が高い教養や学識を持つことは、意外なことではありません。マティス長官と同世代のアメリカ陸軍の軍人に、デヴィッド・ペトレイアス退役陸軍大将がいます。ブッシュ政権下でイラクでの治安戦に成果を上げ、オバマ政権下ではCIA長官を務めたペトレイアス大将は、治安戦に対する造詣が深く、プリンストン大学で博士号を取得した経緯から、"warrior scholar"(学者戦士)との呼び名がありました。


「学者戦士」デヴィッド・ペトレイアス退役陸軍大将

ペトレイアス大将の学識の深さは、アメリカ軍人の中でも際立っている特別な例ですが、「戦士」である軍人が高い教養や学識を持つことは、現代のアメリカ軍にあってそう珍しいことではなく、修士号以上の学位を持つアメリカ軍高官は珍しくありません。世界的に見ても、防衛省が2007年に発表した報告書では、「幹部自衛官における修士以上の学位の保有者は、全体の数%であるのに対し、諸外国の士官については、現段階で確認できたものとして、全体の半数近くに達する例もみられる」としています。マティス長官が読書家である事が意外性を持って日本で伝えられているのも、こういう背景があるのかもしれません。

また、ローマ帝国の五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスが著した「自省録」が座右の書であることも興味深く報じられていますが、西欧・米国で高い地位にある人にとって、古典の教養を持つことが重要であるのはよく言われていることです。そもそも、高い地位にある人物が、史実でもない娯楽歴史小説を「座右の書」として自己紹介している日本の方が特殊なのかもしれません。マティス長官が特別なのかと言われると、確かに高い教養の持ち主かもしれませんが、高級軍人では決して珍しい存在ではないのではないでしょうか。

そもそも、教養の高さとタカ派的態度は相反するものではありません。そして、まだ就任して一ヶ月も経っていないマティス長官ですが、来日時の言動については、以前の国防長官の路線からそう外れるものでもありません。日本としては、「狂犬」や「読書家」といったイメージに引きずられることなく、今後もトランプ政権の動向と併せて注視していくべきではないでしょうか。

【参考になる資料】

野中郁次郎「アメリカ海兵隊―非営利型組織の自己革新 (中公新書)」

2017年1月26日木曜日

死んだ”アカハラ”と鳥インフルエンザ

死んだ″アカハラ″

Twitterでこんなツイートが話題になっていました。ツイートされたのは、神戸大学大学院の木村幹教授。比較政治学者で、朝鮮半島・韓国の地域研究で著名な研究者ですが、ツイートの内容はご専門ではなく、大学の会議での一コマについてです。木村教授より許諾を頂きましたので、ツイートを引用してみましょう。
今日の会議から。100%実話。
事務方「ご報告しないといけない事が」
研究科長「急になんだ」
事務「アカハラです」
参加者A「まじか」
参加者B「勘弁してくれ」
事務方「アカハラが死んでいました」
研究科長「アカハラで死んだ!」
事務方「いえ、建物の裏でアカハラが死んでいました」
一同「鳥かよ!」

出典:木村教授のツイートより(※引用者一部改行)


大学の会議で事務方から「アカハラが死んだ」と報告され、学内で教職員による嫌がらせ行為「アカデミック・ハラスメント」で死者が出たかと騒然となったものの、死んだのは"野鳥の"アカハラだったという話です。アカハラは赤い腹部が特徴で、夏に北日本で繁殖し、冬は西日本、中国、台湾で越冬する渡り鳥です。

"鳥"のアカハラ(撮影:ISAKA Yoji ( cory )

さて、ここまでなら勘違い系の笑い話です。ところが、事務方が会議で報告した以上、それなりに対処が必要になるかもしれない事態ではあるのです。木村教授は事務方からの説明として、ツイートを続けています。

渡り鳥が死んでいる時には、鳥インフル等の可能性があるので、ちゃんと保健所に届けないといけない、というお話しでした。m(_ _)m

出典:木村教授のツイート

因みに事務方の説明によれば、渡り鳥の場合は1羽死んでいるだけでも通報する必要があり、それ以外の鳥の場合にも10羽死んでいる場合には通報する必要があるそうです(詳しくは保健所にご確認ください)。

出典:木村教授のツイート

法的な義務は無いものの、環境省や各都道府県では死亡している野鳥を発見した場合、最寄りの市町村や都道府県に通報することを呼び掛けています。都道府県によっては、施設管理者に対して、敷地内で死亡野鳥を確認した場合に通報を呼び掛けているところもあります。

このように死亡野鳥の通報を呼び掛けている理由に、ツイートにもあるように鳥インフルエンザがあります。


猛威を振るう高病原性鳥インフルエンザウイルス

国内の複数個所で高病原性鳥インフルエンザウイルスが確認された昨年の11月21日以降、環境省の野鳥に対する調査監視の対応レベルは、最高のレベル3となっています。今シーズン、環境省が確認した野鳥への高病原性鳥インフルエンザウイルスの発生(飼育鳥類、糞便、水検体含む)は、2017年1月25日17:30現在、18道府県186件に達しています。

各地で猛威を振るう鳥インフルエンザで、国内でも養鶏場で飼育されている鶏の殺処分が相次いでいますが、世界的にも約40か国で野鳥・家禽への感染が確認されており、世界保健機関(WHO)が警告している旨も報じられています。

[ジュネーブ 23日 ロイター]- 世界保健機関(WHO)は23日、野生の鳥や家禽(かきん)の鳥インフルエンザウイルスへの感染を注意深く観察し、人間に感染した場合は、迅速に報告するよう全ての加盟国に呼び掛けた。パンデミック(世界的大流行)の始まりを告げるシグナルである可能性があるという。

出典:鳥インフル、大流行のシグナルを見逃すな=WHO


しかし、なぜここまで鳥インフルエンザが警戒されているのでしょうか。もちろん、家禽としてのニワトリへの経済的なダメージも計り知れませんが、警戒されているのは人への感染です。

鳥インフルエンザウイルス自体は多くの水鳥が保菌しているものの、野鳥に対する病原性は低く、死に至る事例はそうありません。しかし、野鳥から人に飼われている家禽に感染するなど、感染を経るに従いウイルスが変異し、高い病原性を持つ高病原性鳥インフルエンザウイルスとなる場合があります。

鳥から人へ高病原性鳥インフルエンザウイルスの感染は、鳥と生活環境が近いなどの濃密な接触がなければ起きないと言われており、さらに人から人に対しても容易に感染はしないと考えられています。しかし、「これまでの新型インフルエンザウイルスは、すべて鳥世界からヒト世界に侵入したウイルスから発生していると考えられています」(国立感染症研究所インフルエンザ・パンデミックQ&Aより)とされており、変異により新たな感染症として世界的大流行(パンデミック)を引き起こすことが懸念されています。

鳥インフルエンザウイルスの変異(環境省「高病原性鳥インフルエンザウイルスと野鳥について」より)

そして、上図のように飼育下にある家禽から野鳥への感染も考えられ、そこから広範囲にウイルスを拡大する恐れもあるため、死亡野鳥の調査監視が重要になってくるのです。


死亡野鳥を見つけたら

では最初に戻りましょう。死亡野鳥を見つけても、それが必ずしも高病原性鳥インフルエンザウイルスによる死とは言えません。野鳥も生き物ですから、様々な理由で死にます。1羽の死亡野鳥を一市民が発見しても騒ぐ必要性は薄く、環境省に確認したところ、死亡野鳥の通報はあくまで呼び掛けで、法的な義務ではないようです。しかし、一度に複数の死亡野鳥、あるいは同じ場所で連続して野鳥を確認した場合は、通報が推奨されています。

では、不審な死亡野鳥や複数の死亡野鳥を発見した場合はどうすればよいのでしょうか。環境省では死亡野鳥に近づかず、都道府県や市町村に通報することを呼びかけています。死亡野鳥の回収や消毒、ウイルスの検査も行政が行うので、発見した市民が野鳥になにかを行う必要はありません。そもそも、高病原性鳥インフルエンザウイルスによる死か否かに関わらず、他の病原体や寄生虫の危険もあるので、環境省では触らぬよう呼び掛けています。

環境省「死亡した野鳥を見つけたら」より

すでに国内の畜産業に大きな影響を及ぼしている高病原性鳥インフルエンザウイルスですが、特に行政や畜産業界でない我々も、このように感染拡大に留意することが出てきているようです。

※なお、神戸大学で見つかったアカハラが、高病原性鳥インフルエンザウイルスによる死亡と確認された訳ではありませんので、そこは注意してください。


【鳥インフルエンザについての情報サイト】

環境省:高病原性鳥インフルエンザに関する情報
農林水産省:鳥インフルエンザに関する情報
国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構:高病原性鳥インフルエンザ

2016年12月2日金曜日

新語・流行語大賞。実際に流行ったのかグーグルに聞いてみる

今年も残すところあと1ヶ月。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、今年も『「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン新語・流行語大賞』が発表されました。年間大賞と大賞を含むトップ10は、次のとおり発表されています。

【年間大賞】神ってる
【トップ10】聖地巡礼
【トップ10】トランプ現象
【トップ10】ゲス不倫
【トップ10】マイナス金利
【トップ10】盛り土
【トップ10】保育園落ちた日本死ね
【トップ10】ポケモンGO
【トップ10】(僕の)アモーレ
【トップ10】PPAP
【選考委員特別賞】復興城主

ところが、このような選考結果に対し、ネット上では違和感を表明する人が相次いでいます。私自身も単に疎いだけかもしれませんが、大賞を獲った「神ってる」って言葉は初めて知りました。選考委員特別賞は熊本地震被災地への応援という意味があるので分かるのですが、トップ10の中には首を傾げるものが多いのではと感じます。

私個人の思い込みや、周囲の反応だけを拾っているせいなのかもしれませんが、ライター・評論家のさやわか氏も「「神ってる」流行語大賞受賞に違和感が噴出するワケ」という記事で次のように書かれています。


毎年、年末になると発表される「新語・流行語大賞」。年の瀬の多くのイベント事がそうであるように、この賞は「あったあった、こんな言葉」と1年を思い返せるところに楽しみがあるはずだ。
しかし世の評判を見ると、最近は「こんな言葉は流行っていなかった」「もっと他に流行った言葉があった」など、違和感を表明する人が増えている。なぜだろうか。


さやわか氏もご自身、そして世間に違和感が溢れていると考えており、広い範囲でこの違和感は共有されているようです。

しかしながら、一企業が独自の基準で審査員をつけて発表した「流行」にとやかく言っても、あまり意味は無いかもしれません。「違和感がある」と文句を言っても、「うちはそう思ってる」と返されたら、あとが続きません。しかし、この大賞がそれなりの権威を持って世の中を闊歩している以上、この違和感に毎年付き合わされるのには、正直ぼくは気持ちよくありません。

そこで、定量可能な指標で、本当に流行っていた言葉なのか? ということを検証してみたいと思います。その指標としては、グーグルで今年検索された回数を調べて、それがどれだけネット上で注目を集めていたのか判断してみましょう。すると、面白い結果が分かりました。



圧倒的なポケモンGO

グーグルで検索された単語の検索傾向については、グーグルトレンドで視覚化して表示できます。グーグルトレンドでは単語が検索された絶対数は分からないのですが、指定された期間で最も検索された週を100として相対的に表わしています。つまり、Aという単語が最も検索された週で100万回検索されたとすると、50万回検索された週は50と表されるのです。Aという単語が最も検索されたなら、その最も検索された週を基準として、他のBという単語も比較することも可能です。

この仕組を用いて、新語流行語大賞トップ10の言葉が、どれだけネット上で検索されたかを表してみましょう。すると、下のグラフのような結果になりました。

新語流行語大賞トップ10のグーグルトレンドでの推移

水色の線で現した「ポケモンGO」が最も検索された回数が多く、7月24日から30日の1週間で最も検索されています。

ところが、ここで問題が生じます。ポケモンGOが圧倒的過ぎて、他の単語より桁が2つも違うという事態になっていたのです。
「ポケモンGO」が最も検索された週を100とすると、ポケモンGOに次ぐ「PPAP」と「マイナス金利」が最高でも2しかなく、他の7単語に至っては”0”です。つまり、ポケモンGOの百分の一も検索されていない事になります。100倍以上差があると、ここで表示できる折れ線グラフでは判別が付きません。ポケモンGOの化物ぶりが窺えます。



ポケモンGO抜きにしてもゼロの「アモーレ」「トランプ現象」

これでは比較にならないので、ポケモンGOを抜きにして、次点のPPAPを100として基準点にしてみましょう。それが次のグラフです。

2016年新語・流行語大賞トップ10のグーグルトレンドでの推移(ポケモンGOと0項目除く)

だいぶ見やすくなりましたね。このグラフでは「PPAP」が最も検索された週が100に対し、「マイナス金利」が最も検索された週が76で、結構いい勝負です。ただ、この2つ以外はパッとせず、「保育園落ちた日本死ね」が一週だけ14になった他は、他の全単語は一桁台です。なお、このグラフの凡例に「(僕の)アモーレ」、「トランプ現象」がありませんが、両者についてはPPAPを基準にしても0でした。つまり、この両者はPPAPの百分の一以下、ポケモンGOの五千分の一以下の検索回数ということになります。本当に流行したんでしょうか。



今年話題になったあの映画を突っ込んでみると

ポケモンGOの圧倒的強さに他が霞む流行語となりましたが、他にも今年流行ったものがありましたよね。例えば、興行収入が194億円を突破し、邦画歴代2位になるとも言われている映画「君の名は。」は、まさに今年を代表する流行でしたね(新語流行語大賞トップ10になぜか入ってませんが)。「君の名は。」の他にも、例えば「トランプ現象」ではなく、単純に名前の「トランプ」と入力するとどうなるでしょうか。このような単語とトップ10のツートップを比較してみました。

「ポケモンGO」、「PPAP」、「トランプ」、「君の名は。」のグーグルトレンド推移

ああ、これでもポケモンGOには及びません……。「ポケモンGO」100に対し、「トランプ」が最大17、「君の名は。」が最大10となっています。「トランプ」「君の名は。」は、瞬間的に「ポケモンGO」を抜く事はあっても、ピークが遠く及んでいません。それだけポケモンGOに注目が集まっていたのと言えるかもしれません。


検索回数=流行ではないけれど……

しかしながら、これはあくまでグーグルの検索回数というだけで、イコール流行とは完全に結びつかないのも事実です。例えば、ポケモンGOはゲームですので、ポケモンが出るポイント探しに同じ人が何回も頻繁に検索することが考えられます。しかし、それを考慮しても、莫大な数のポケモンGO情報が求められていたのは事実で、検索回数は他を圧倒しています。そして、ポケモンGOの五千分の一に満たない検索回数の言葉って、少なくともネット上では流行語とは言えないのかなあ、と思います。まあ、世間もネットも大して乖離が無くなってきた時勢ではありますが。

なお、グーグルは12月中旬に「Year in Search: 検索で振り返る」を発表しています。まだ今年は発表になっていませんが、興味のある方は、真のグーグル検索回数1位がなにか、チェックしてみてもいいのではないでしょうか?

なお、本記事で用いたグーグルトレンドの検索条件は次のとおりです。
国:日本
期間:2016年
カテゴリ:すべてのカテゴリ
検索対象:ウェブ検索

※記事初出時、「(僕の)アモーレ」、「トランプ現象」の検索数について、「ポケモンGOの一万分の一以下」としましたが、「五千分の一以下」に訂正致しました。

2016年10月25日火曜日

軍事技術研究とポケモンGO

防衛装備品への適用に繋がる技術研究について、防衛装備庁が大学や企業などの民間機関に研究費を出資する「安全保障技術研究推進制度」が昨年度に設立されました。このファンド制度を受けて、学会や大学が軍事技術研究とどう関わっていくのかについて、様々な議論が活発化しています。

科学者が戦争に加担した反省から軍事研究を禁じてきた日本学術会議が、方針を転換するかどうかの議論を続けている。武器輸出を進める政治側の動きを受け、防衛省が昨年、研究費の公募を始めたのがきっかけだ。7日の同会議総会では、「軍事と民生技術の線引きが難しい時代だからこそ、方針の堅持を求めたい」とする意見が相次いだ。


しかし、この問題の議論については、「軍事技術研究」という言葉だけが先行している感があります。そこで、防衛装備庁が手本としている制度の特色とその成果。そして我々の暮らしにそれがどう関わっているかを紹介し、ともすれば破壊を伴う技術とどう付き合っていくかについて考えていきたいと思います。



成果を求めない高リスク研究への投資

防衛装備庁が行っているファンド制度が、アメリカ国防高等研究計画局(DARPA)を手本にしていることは、様々な機会で関係者が発言しています。DARPAとはアメリカ国防総省傘下の機関で、アメリカ軍の技術的優位を確保することをその目的としています。

1957年にソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号打ち上げに成功すると、世界に大きな衝撃をもたらしました。この出来事はスプートニク・ショックと呼ばれ、アメリカの技術的優位が崩れたと深刻に受け止められました。対策に迫られたアイゼンハワー大統領は、これまで陸海空軍でバラバラだった宇宙空間・安全保障分野における技術開発指揮系統の集約化を行います。この結果、1958年に設立されたのが、航空宇宙局(NASA)と、DARPAの前身である高等研究計画局(ARPA)でした。

DARPAの特色として、DARPA自体は研究施設を有しておらず、職員もごくわずかしかいない点が挙げられます。DARPAでは公募により広く一般の研究機関から研究を集め、採用した研究に対し研究資金の出資を行い、職員はその研究をマネジメントしています。研究成果は一般公開されており、防衛装備庁のファンドもこれを踏襲しています。

災害救助ロボットを競う、DARPA主催競技会の様子。日本からも5チーム参加

近年は民間での研究開発予算の削減から、研究にも具体的成果が求められるようになっており、そのことが研究の大きな足かせになっている事が様々な研究者から指摘されています。しかし、DARPAは研究のポテンシャルを重視し、具体的な成果に結びつかないリスクの高い研究に対しても出資を行っています。インターネットの原型となったARPANETや、GPSといった今日の暮らしに欠かせない技術も、DARPA(その前身のARPA含む)の出資によって生み出されています。



「インターネットは軍事技術発祥」という誤解

インターネットの誕生にDARPAの資金が関わっていたことで、インターネットは軍事技術なのか、と思われる方もいらっしゃると思います。また、「インターネットは軍事技術発祥」という言説をご存知の方も多いでしょう。ところが、日本の「インターネットの父」と言われる村井純慶應義塾大学教授は、そのような見方を否定しています。

インターネットの誤った伝説のひとつは、ARPANETは軍事用に開発され、それが民間に転用されたというものだ。これは、ARPAが研究資金を出していたことから憶測された誤解である。

パケット交換方式でデジタル情報を伝搬する技術は、障害に強いネットワークの基礎になるので、そういう意味では軍の目的にもかなっているのだが、ARPAのファンドの基本方針は、軍事目的に直結している研究をやれとは言わないことだ。そういう研究は国防総省がやればよいという考え方である。

(中略)技術トレンドからはずれたとんでもないアイデアだけれど、何か大化けするかもしれないという研究は、ARPAの守備範囲になる。そういうものにファンドしておけば、結局は軍のためになるだろうという考え方はあるだろう。しかし、それが直接の目的ではない。



DARPAの出資する研究には、軍事的な色彩が薄く、かつ海の物とも山の物ともつかないようなものも守備範囲としています。ただ出資者が軍の機関というだけで、軍事目的の研究だと言うのは飛躍であるということです。そして今日、インターネット以外にも我々の生活の身近に密接に関わってくる、軍事とまるで関係なさそうなものにも、軍関係の資金が関係しています。



Googleマップ・ポケモンGOはCIAの出資で生まれた?

米中央情報局(CIA)のベンチャーキャピタル部門であるIn-Q-Telは、DARPAよりずっと後の1999年に設立されたものの、既に我々の生活にも密接に関わっているイノベーションに携わっています。In-Q-Telは、アメリカのインテリジェンス・コミュニティ(国家の情報機関の情報を一元化する機関)のミッションに優位性を与える将来性のある民生技術に焦点を当てた投資を行っており、その著名な成果の一つがGoogleアースやGoogleマップの原型となった技術です。

今やスマートフォンにとって、地図情報サービスは欠かせないものとなっていますが、Googleマップは地図情報サービスの中でも草分け的で、現在でも圧倒的な存在感があります。これらの基盤となっている技術は、元は2004年にGoogleに買収されたKeyhole社が開発したものでした。このKeyholeはIn-Q-Telから出資を受けており、創業者のジョン・ハンケ氏は以後もIn-Q-Telやその関係者と深い関わりを持っていると言われています。

Googleに買収された後、ハンケ氏はGoogleでGoogleアースやGoogleマップといった地理情報サービス担当副社長となり、2011年にGoogleの社内スタートアップとしてNiantic Labsを設立。そして2015年にはNiantic, Inc.(ナイアンティック社)としてGoogleから独立します。このナイアンティックは、後にポケモンGOを開発します。

ナイアンティック創業者・CEO ジョン・ハンケ氏(Gage Skidmore撮影)
ポケモンGOは、実際の地図情報やカメラによる拡張現実(AR)を取り入れたゲームですが、この地図情報の基盤はGoogle Mapを利用しているとされます。また、元In-Q-Tel職員で、在籍中にKeyholeへの出資を行ったギルマン・ルイ氏はナイアンティックにも出資を行い、ナイアンティックの取締役に就いているなど、現在でもIn-Q-Telの人脈が生きています。このように、一つの技術をキッカケとして、オンライン地図からゲームに至るまで、様々なイノベーションを引き起こしている事が分かります。

さて、ここで私が「ポケモンGOは軍事技術」と書いたら、多くの方は「何言ってんだコイツ」と思われるでしょう。実際、ポケモンGOと軍事技術に直接的な繋がりはありません。ポケモンGOの基盤となる技術はネット上の地図情報サービスであり、この研究にCIA関連機関が出資していたというだけです。情報機関に役立つけど、それ以上に民間にも大きなメリットをもたらした技術です。金の出処が情報機関関係、というだけでその研究を軍事研究だと色分けすることは、あまり賢い判断ではないでしょう。

技術が相互に関連し、コア技術を中核として様々な派生技術が生まれている現在、基礎的な技術自体に軍用か民生かという色分けは出来ません。技術の出自を問うよりも、技術が倫理的に正しく使われているかから判断する方が現実的ではないでしょうか。

【関連】



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2016年10月2日日曜日

長谷川豊が勇んで突っ込んだ地雷原

お久しぶりです、dragonerです。ブロガー名乗っているのに、今年はほとんど記事書いてません。ここまで書いてない期間が長いと、8月に出させて頂いた新書はブログ記事30本分の分量があるので許してください、というネタも使えなくなりつつあります。


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リハビリに何か書こうと思っていた所、世間では長谷川豊の「殺せ!」が話題になっていました。この人、前から明らかに逆張り野郎で主張には同意できんし、「映画吹き替えはタレントじゃなくて声優使え!」みたいな数少ない同意できる主張でさえ、こいつは表に出してはいけないヤツや、とスルーしてきましたが、一躍時の人となっています。そういうわけで、遠慮なく長谷川豊について書ける環境になったようですので、ここで長谷川豊問題について書いてみたいと思います。

さて、ここでは長谷川豊の発言について、その倫理的な問題、嘘や誇張・誤りなどの事実関係の問題については触れません。そういうのは既に多くの組織、メディアや個人が行っていることで、今更私ごときがやる必然性はないからです。

じゃあ、ここではなにを書くかというと、長谷川豊が喧嘩を売った相手は誰で、どのくらいいるのか? という点について、ざっくり考えたいと思います。つまり、長谷川豊はどれだけの人を敵に回したのか、ということです。


読売テレビに喧嘩を売る

長谷川豊を電話一本でレギュラー番組から降板させた読売テレビは、結構意味深なコメントを残しています。朝日新聞が伝えていますので、以下に引用します。

読売テレビ総合広報部は「長谷川氏のブログ、およびその後の患者団体による抗議への長谷川氏の対応などから総合的に判断した」と説明した。


読売テレビが言うには、ブログ記事だけではなく、その後の患者団体の抗議と、長谷川豊の対応についても考慮した上で判断したとのことです。ここ、結構ポイントじゃないかと思います。

最初に問題となった9月19日のブログ記事「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」で、長谷川豊が「殺せ」と言ったのは、「自業自得の人工透析患者」でした。文面からすれば、2型糖尿病由来の慢性腎不全患者の事を指すのかと思いきや、それ以外の透析患者にも鉾を向け、「実際に人工透析を受けている患者さんの8~9割が自業自得」とまで言っています。

ちなみに、全透析患者のうち、糖尿病由来の透析患者は4割台で、半数以上はそれ以外の原因です。長谷川豊の恐ろしいところは、これを知っていて書いたこと。つまり、彼は「自らの意思で敵を倍増させた」か、あるいは「敵を倍増させる事を言っていると自分で理解していなかった」のどちらかであって、どちらであっても正気の沙汰でありません。

これに対し、患者団体の全腎協(全国腎臓病協議会)から抗議が来るわけですが、これに対して長谷川豊が取った言動は、「おマヌケ」、「どんな読解力をされているのですか?」、「利権集団」、「とっとと解散すべきだ」、「脅迫集団」と、全腎協そのものに対しても全力で喧嘩売ってはります。糖尿病由来慢性腎不全の透析患者に加え、全透析患者、さらには全腎臓病患者に攻撃対象を拡大したわけです。

このようにして、自身の炎上にガソリンを特盛り追加した長谷川豊大先生ですが、ここで読売テレビの話に戻しましょう。

長谷川豊の対応を見た読売テレビは、無慈悲な降板を告げます。なお、80年代から90年代前半のテレビ黄金期によみうりテレビ(現・読売テレビ)社長を務めた青山行雄名誉会長は、2002年に急性腎不全により亡くなられております。現在の読売テレビの幹部にも、青山名誉会長の部下が大勢残っているでしょうに、思いっきし虎の尾を踏んでますね。このように、全腎臓病患者にまで攻撃を拡大したことにより、読売テレビからグーパン食らったのではないでしょうか。見事なまでの野放図な戦線拡大による失敗です。


日本人の八分の一とその家族に喧嘩を売る

さて、長谷川豊のブログを読むと、どうやら長谷川豊は腎不全の問題を、日本人のうちのごく一部の問題と捉えているようです。だからここまで尊大で横柄な態度を示せるわけです。

ところがどっこい。例えば全腎協は、日本最大の患者会であることを謳っています。それだけ患者が多い病気ということで、家族を含めれば相当な数になる証だし、患者相互の連帯意識も高い組織なわけです。

そして、現在問題になっている腎臓の病として、慢性腎臓病(CKD)があります。慢性的に進行する腎臓病ですが、その患者は日本国内で1330万人いると推測されています。全成人の八分の一に相当します。これを読んでいる貴方もそうである可能性が高いし、私もそうかもしれない。将来CKDから、透析が必要になるまで悪化する人も当然いる。家族も含めれば数千万人の日本人に対して、長谷川豊は喧嘩を売ったのです。自ら進んで地雷原に突っ込んでいく様は、長く語り継がれることでしょう。

さて、自分がレギュラー出演していたテレビ局を敵に回し、さらには日本中を敵に回した長谷川豊ですが、味方してくれるのはブラックマヨネーズ吉田とか、全く頼りになりそうにない人しかいないみたいです。ここはもう日本での活動は諦めて、「麻薬中毒者は自業自得」とフィリピンのドゥテルテ大統領の報道官への転職というキャリアを考えた方が良さそうです。

まあ、「自業自得」だし、仕方ないよね!(完)

2016年7月12日火曜日

仲裁裁判所が否定した九段線とは?

中国が南シナ海全域に管轄権を主張して引いた「九段線」について、フィリピンが仲裁裁判所に提訴していた裁判で、仲裁裁判所は一二日中国側の主張する「九段線」に法的根拠がないとする判決を下しました。

【マニラ=向井ゆう子】中国が南シナ海で主張する「九段線」は国連海洋法条約に違反するなどとして、フィリピンが2013年に提訴した仲裁裁判で、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は12日、「九段線」について歴史的権利を主張する法的根拠はないとする判決を示した。
これを受けて中国が反応するかがこれから注目されますが、黙って従う可能性は低く、今後さらに問題が加熱するかもしれません。

さて、この裁判関連の報道でよく見かけるのは、「九段線」という言葉です。これは、中国が管轄権が及ぶと主張する領域を示す地理上の概念ですが、南シナ海のほぼ全域に渡っており、下の図の赤い線が九段線になります。

佐々木健「中国の南シナ海進出と国際社会の対応」参議院事務局企画調整室より

中国も加盟している国連海洋法条約では、沿岸国の基線(領海の基準となる線。おおむね海岸線と思って下さい)から12海里(約22km)以内を沿岸国の主権が及ぶ領海とし、200海里(約370km)以内を排他的経済水域(EEZ)として、沿岸国に資源や開発の排他的権利を与えています。

ところが、九段線の範囲は、仮に南沙諸島を中国が領有すると認めたとしても、EEZでもここまで広くはなりません。'''九段線の範囲は現行国際法上の何に基づいているかが不明'''なのです。中国は南沙諸島の領有権、領海やEEZに加え、今回裁判で否定された南シナ海の「歴史的権利」を持つとしていますが、それで何が得られるかが曖昧なのです。

そもそも、九段線の元となる線を最初に引いたのは、現在の中国(中華人民共和国)ではなく、戦前の中華民国政府でした。

1930年に中華民国政府が発行した地図で南シナ海の島嶼の領有権が主張され、続いて1947年に「中国の権威が及ぶ範囲の限界」として、南シナ海に11の区画線からなる「11段線」を引きました。1953年には2つの線が削除され、現在の九段線の形になりました。つまり、現在の中国は、かつての中華民国の立場を受け継いでおり、中国のネットサービスの地図にはデカデカと九段線が描かれています。

ところが、この11段線、九段線を引いた側の中華民国(現在の台湾)も、中華人民共和国も、九段線の法的な意味を未だに明らかにしていません。誤解されがちですが、領有権の主張ではなく、「管轄権」であり、これが具体的にどういう権利を主張しているのか、よく分かっていないのです。

この九段線の法的意味合いについては、中国内外でも議論されてきましたが、その中で出ている意見に、「外交に戦略的曖昧さを持たせることで外交で取れる行動の幅を拡げるため」という推測があります。最近になって、これを裏付ける発言が、6月に開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ対話)に参加した中国政府関係者から出ています。

 姚云竹少将は「シャングリラ対話」の一環として4日に開かれたセミナーで「中国にとって、そしてその他の領有権主張国にとって、曖昧さが良いことかもしれないと今なお考えている」と発言。「その結果、中国など領有権主張国にとって動ける余地が広くなり、妥協する余地が広くなる」と述べた。

つまり意図的に曖昧にすることで、出せる手札を多くするという手のようです。

もっとも、今回の判決で国際的には中国の歴史的権利は否定されました。この後、中国がどのような反応を見せるかですが、南シナ海の緊張が高まるかもしれず、注視が必要です。

日本では尖閣諸島の問題ばかり注目されがちですが、南シナ海は周辺国家にとっても重要なのはもちろん、日本を含む東アジアの国にとっては、中東・ヨーロッパからくる船のほとんどが通過する重要な海域です。平和安全法制の審議で例に出されたホルムズ海峡以上に重要な海域なのは自明で、一国がここの管轄権を主張する事態は日本の安全保障上の重大問題になり得ます。せめて、尖閣並に注目されてもよいのではないでしょうか。


【参考】

吉田 靖之 「南シナ海における中国の「九段線」と国際法」海幹校戦略研究 2015 年6 月

佐々木 健 「中国の南シナ海進出と国際社会の対応 」参議院事務局企画調査室

上の2論文はネットで見られる中で、南シナ海問題の整理に役立ちます。特に上は国際法上の議論や歴史的権利にも触れており、大変参考になりました。


李克強「中国と周辺国家の海上国境問題 」『境界研究』No.1

また、現在中国共産党序列2位の李克強首相が副総理時代に書いた論文は、中国の主張の整理に役立つと思います。

【関連書籍】

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